第99話 生活習慣病 |
私は釣り師だが、本職は医師である。したがって病院の内外で、生活習慣病の話はよくやっている。生活習慣病とは、日常の生活習慣すなわち食事や運動、睡眠、嗜好などと密接に結びついた疾患で、具体的には、肥満・高血圧・高脂血症・糖尿病といった病名がつき、最終的には脳梗塞・心筋梗塞・腎不全などという致命的な病気に至ることがあるあなどれない病気である。 さてイトウ釣り師は生活習慣病と無縁なのであろうか。私が知る先鋭的なイトウ釣り師にはまず肥満の人物が思いつかない。 イトウ釣りは竿をもつ腕だけの運動ではなく、頭から足先まで使う全身運動である。ほとんど定点から移動しない本波幸一名人にしても、川中を移動しつづける私にしても、ほぼすべての筋肉を総動員して釣りをしている。しかも朝から夕まで長時間にわたって有酸素運動をつづけている。これが運動のエネルギーとしてウオーキングのレベルを超える相当なカロリーを消費していると考える。そのうえ釣行の日中にはあまりまとまった食事もしないから、摂取カロリーは少なく、エネルギー収支はあきらかに負となる。ふだんの過食・運動不足がイトウ釣りにより一気に解消されてしまう。 イトウ釣り師のなかには、釣りの運動をはるかに超えるアスリート的なトレーニングをこなしている人物もいる。たとえばチライさんは、ジムでウエイトトレーニングを欠かさず、100kgものバーベルをベンチプレスで挙げるそうだ。私は「おれなんか、メーターイトウを抱っこするだけの腕力で十分だよ」といって笑っているのだが、海のブリなどを釣る高速ジギングには、モロに腕力がものをいうらしい。 本波幸一名人は、ふだんはとてもスリムに見えるのだが、釣りに必要な筋肉は完全に備わっているようだ。ある夏の日、彼とちょっと探検的な長いアプローチルートをたどって湿原の核心部に進入したことがあった。時がたつにしたがって私にはボディブローのように効いてくる肉体疲労も彼はあまり感じていな様子だった。私より10歳若いだけではなく、職業釣り師だけあって、さすがに身体のトレーニングも怠りないようだ。 アウトドアライフ全般に通じ、アウトドアの写真や映像撮影を仕事にしている阿部幹雄は、いまは南極の山岳地帯にいるが、ふだんは札幌で室内の作業をしている。テレビの仕事は時間に不規則で、運動が不足し、どうしても体重が増加傾向になるそうだ。それでも宗谷にやってきて、写真機材の詰まった30kgにもおよぶリュックサックをかつぎ、私と釣行をともにすると、一日で体重が減って元へもどるそうだ。 道央や本州から宗谷へイトウ釣りにくる人びとは、ふだんはさまざまな仕事に就いて、それぞれの生活習慣をもっている。年齢層は20から70歳代と広いが、主力は30から40歳代である。みなさんそろそろ中年の仲間入りをして、生活習慣病の心配をしたほうがよい年齢層である。 釣り人のキャリアは千差万別で、釣行の回数も非常にバリエーションに富む。多くの人びとにとって釣りは趣味であるが、一部の熱中人にとっては、イトウ釣りは悪魔に魅入られたような逃避できない活動であり、時間・金銭だけではなく、身体のエネルギーをも大きく消費させる。そのエネルギーロスは、日常の生活習慣で溜め込んだ体脂肪を燃焼させるにはずいぶん役にたっているはずだ。 減量というのは、体脂肪を減らすことである。簡単にいえば、摂取する食事量を減らし、運動量を増やせば、徐々に体重は落ちていく。しかし、そういう作業は修行のようにつらいことが多い。そんなとき、イトウ釣りに熱中すれば、じつに容易に減量に成功する。 私は完全なイトウ釣り熱中人なのだが、肥満はなく、生活習慣病もない。健康診断でよく使うBMI(体重÷身長二乗)は21.6で、理想の標準体重にピタリと一致している。これはイトウのおかげだと、いつも感謝している。 |