98話  データ


 イトウが「幻の魚」というありがたくない冠詞をいただき、絶滅危惧種、絶滅危機種というお墨付きをもらってからひさしい。環境省や北海道がそういったレッドデータ認定をするからには、きちんとした推計生息数が出されているはずだが、それはわれわれ釣り人が考えている数とは相当開きがある。なんといっても研究者のデータは、産卵に遡上する成魚と産卵床が根拠になっている。遡上産卵しない成魚や、調査の行き届いていない川の産卵床は計算にはいっていない。つまりはじき出した数字は生息数の全部ではないというわけである。

 イトウを愛し、イトウにもっとも関心をもっているのは釣り人であり、イトウが一年を通してどこにいるのかを一番よく知っているのも釣り人である。研究者や行政や自然保護家などと比べて圧倒的多数の釣り人が、イトウを育む広い環境を監視して環境破壊の状況を指摘し、釣りで生息状況を調査し、きちんとリリースして再生産を妨げないようにしなければならない。

 私は、イトウを釣ると、リリースまでの短い時間に、できるだけのデータを取ろうとしている。よく釣り雑誌なんかの記事にあるような「遊んでくれてありがとう」と言って、サイズも測らず、サッと逃がしてしまうなんてことは、ありえない。そんな行為は、まさしく遊んでいるだけで、釣られたイトウの保護管理にはなんの役にもたたない。きちんとデータを収集し、それを5年10年と積み上げることによって、ようやくイトウの生息状況に関して物を言えることになる。実際に私はそうしているつもりだ。

 6月の河口部には100人を超す釣り人が集結する。もちろん全員とはいえないが、イトウを釣り上げる人も多い。例えばこれらの釣り上げられた個体を、研究者が走り回って、体長、体重を計測し、ウロコを数枚採取しただけで、保護管理に役立つ膨大なデータが集まることであろう。魚が死なないように手早く計測すべきことは当然だ。このように釣り人の協力が得られれば、私がひとりで10年かけて調べ上げたデータ量は、1年で集まることであろう。北海道のイトウの生息現況を知るには、釣り師の協力が不可欠であることがわかってもらえるだろうか。

保護管理には、さまざまな情報を収集登録するセンターがあるべきで、これは環境省とか北海道といった公的機関の仕事である。釣り人の協力を得て、とりあえず年間でヒットするメーターオーバーイトウの数、日時、場所(公表してはいけないが)くらいは登録しておきたい。メーターイトウの数は、一般に想像されているよりずっと多いと私は考えている。なぜなら、私の周りにいるイトウ釣りの達人たちは、毎年ごくふつうにメーターイトウを釣っている。年間に2匹以上のメーターを釣っている凄腕もいる。メーターイトウは案外いるのだ。

 東京の江戸川水系で巨大魚アオウオを釣っている茂木薫氏のホームページ「青魚倶楽部」をご覧になった釣り人は多いことだろう(じつはイトウの会HPともリンクしている)。そのトップページに「ロクマル倶楽部」があるが、そこには歴代の160pオーバーのアオウオと満面の笑みをたたえた釣り師の写真が陳列されている。私はいつもこの写真を眺めてため息をついている。巨大魚のど迫力はもちろんのこと、釣り師の表情がじつにいいのだ。イトウの巨大魚についても「ロクマル倶楽部」のような陳列室があれば最高であろう。

 イトウは言うまでもなく希少種であり、きわめて貴重な魚だ。どこにどんな大きさのどれほどの数のイトウが生息しているのかは、研究者の手に余るテーマなのだ。これは、われわれ釣り人がデータを提供しないかぎりベールに包まれて、それこそ幻に祭り上げられてしまう。なんとかならないだろうか。