96話  氷の川


 ヒマラヤ北西部の秘境ザンスカールの人びとは、冬になると凍結した氷の川ザンスカール川を伝って外の世界と行き来をする。それは120キロにも及ぶ命がけの徒歩旅行となる。粗末な衣服に身を包んだチベットの人びとが、大岩壁を縫う激流のわきや氷上を歩く圧倒的スケールの光景に息を呑んだ視聴者も多いことだろう。

私は命がけというほどのことはないが、宗谷の凍った川を歩いて、シーズン最後のイトウ釣りにでかけるのを恒例行事としている。川が結氷していなければ、陸からふつうに釣ればいいのだが、川は両岸から凍結をはじめ、最後に中央部だけに開水面が残り、そこしかルアーをキャストする場所がない。そういうとき、もろい氷盤上から釣るのはきわめて危険である。氷盤から背の立たない川に転落したり、氷を踏み抜いた場合、二度と氷上に這い上がれないからだ。

それなら、最初から岸辺の氷を割って、川に立ち込み、そこを根拠地にして、水底に足をつけて開水面を釣りあがればいい。いざとなれば、入水地点に戻れば陸に上がれる。そう考えて、試行錯誤をはじめた釣法である。

 「あれは絵になりますよ。あんな釣り方はどこにもないから」

 阿部幹雄の圧倒的支持を得て、いっしょに氷の川に通うことになった。完全武装の人相のよくないふたりの男が、半ば凍った川のなかに立っているのだ。どこかの国の工作員が、川でよからぬことをたくらんでいると思われてもまったく不思議ではない光景だ。

 それでは、そんな苦労をして釣りをやり、実際に釣果があるのかというと、もちろんある。しかし、入川するタイミングが難しく、早朝はだめだ。なぜかというと、水温が氷点に近くフラジルアイスという氷の赤ちゃんがふわふわ水面を漂っているときには、ルアーがそれに引っかかってしまい、まともに泳いでくれない。アンカーアイスという石ころを含んだ氷が流れるといっそう悪い。結局、釣りになるのは昼ごろとなる。

冬にしては温かく気温がプラスで、水が深い蒼色にどろんと流れているときがいい。両岸から氷がせり出して、川筋がわずか1mほどに狭くなった渕にルアーをストンと投入し、リールを二三巻きしたところでズシンと魚が乗るとそれは最高に気分がよい。掛かったイトウが氷縁をかすめて右往左往するのだ。静かな風景のなかで魚が激しく動く。釣り師の冷たく冷えた身体に熱い血がほとばしる。これは究極のイトウ釣りかもしれない。

2007年の11月末も、早い冬将軍の到来で、宗谷でも釣りになる河川がほとんどなくなった。あちこちを車で偵察したあげく、私は氷の川にやってきた。日が差してすこしでも水温が高くなるのを待って、車から出発した。まずは雪に覆われた農道をラッセルしながら、ポイントまで40分ほどかけて歩いた。エゾユキウサギとシカの足跡が、雪原に刻まれている。すこし汗ばんだところで、川岸に到着した。氷を蹴破って、川の真ん中に立つ。もわっとしたフラジルアイスがつぎつぎに上流から漂ってくる。水温は0.7℃だ。

ここからは、誰もやらない狂気の釣りだ。一投キャストするごとに、すこしずつ前進するスタイルで、遡行していく。両岸の氷の文様や、木の枝を取り巻く氷の輝きが美しい。どうしても突破できない深みは、高巻くしかないが、原則として川中を直線的に進む。

ずっと投げたルアーだけがむなしく帰ってきたが、最後の最後で、グアッと抵抗があり、ロッドチップがおじぎをした。無機的な風景のなかで、竿が生命の躍動を伝えている。こんな歓喜は日常にはちょっとない。

 「ひやぁ」とか「だあー」とか叫びながら、長年鍛えた釣りの技はきちんとやって、掛かったイトウは、短時間のうちに氷盤上につるりと乗せてしまった。

氷盤はまるで作業台である。そこに乗ったイトウは暴れない。おそらく水温とおなじ氷温が、イトウには心地よいのかもしれない。竿もカメラもメジャーもニッパもすべて氷盤の上にならべて、フックを外し、体長を計測し、写真を撮る。氷は凸凹がないので、カメラを置いてセルフタイマーで「抱っこ写真」を撮るのも簡単だ。こうして、一連の作業をすませるころ、イトウは氷縁から自力で水中へ還っていった。