95話  夕陽


 私は夜明け前に釣り場に立ち朝陽を拝むことはあまりない。しかし、夕暮れ時まで竿をふって、そろそろ納竿の時間だというときに、落日を目にすることはよくある。

 道北に夕陽の美しいところはたくさんある。秋に湿原でイトウ釣りをしていると、夕暮れ時には赤々と太陽が傾き、すさまじい彩雲が全天を彩り、紅葉やヨシ原を黄金色に染め上げる。

 むかし阿部幹雄と写真集の見開きページに値する釣り場を探していたとき、イトウ釣りのメッカである猿払川河口部の夕暮れがじつに美しいことを知った。とりわけ猿払川と狩別川が合流する一帯は、道北髄一の景勝だとおもう。

 「夕暮れどきの撮影は、陽が沈んでからがいいのですよ。とくに河川や湖沼では日没後に水のグラジュエーションが素晴らしい」

 阿部がいったとおり、明から暗への色調の段階的で微妙な変化や黒々としたシルエットとの組み合わせには息を呑むほどだ。しかし、刻々と暮れて写真にならない暗闇が迫るのだから、釣りも撮影ものんびりはしていられない。

 「シルエットで釣ってほしい」

難しい注文が写真家から発せられた。だめもとでキャストしたところ、本当にイトウがヒットして文字通りの絵になった。イトウの立てる水柱が黄金色に輝き、前景の流木がオブジェとなって、まことに味わい深い夢のような光景となった。

 MIKIOジャーナルの取材のときも、すごい夕陽を見た。私は大河の岩盤の上に乗っかって竿を振っていた。背後に燃える夕陽が沈もうとしていた。ちょうど逆光になる川は、ギラギラと金属光沢で光った。

 「いま釣り師が釣ってくれたら絵になる」

 阿部がそう思いながら高台からVTRカメラを廻していたところ、私が「来たあ」と大声で叫んだ。まさに以心伝心のヒットであった。

あとで動画を見ると、油を流したような漆黒の水面近くに、釣り師と掛かったイトウがくろぐろとした影絵になって浮かび、みごとな水墨画になっていた。釣り師は一番いい釣り座に立っていただけだが、この情景を予想して最高の場所でカメラを構えていた写真家の洞察は非凡だった。

日の出と日没のどちらが美しいかというと、文句なしに日没の風景に軍配をあげる。風景が劇的に情熱的な色合いに染め上げられてから、急速に色を失って、暗黒に消えなずむさまは、さながら叙事詩のようだ。

日の出と日没のどちらが釣れるかというと、どちらも甲乙つけがたいが、私個人の大物の釣果では日没のほうである。100pも97pも夕暮れどきに釣った。斜光が射た巨大魚の魚体のなんと神々しかったことか。残念ながらどちらのときも阿部は不在だったが。

 「夕暮れにすばらしい景色になります。釣り師はその絵の中の一点で竿を振ってくれるとよろしい。釣ってくれたらもっとうれしいですが」

 阿部はいつもそう言って、日暮れまで納竿はさせてくれなかった。

 現在、ルアー系やフライ系の釣り雑誌はたくさん出版されている。私はそのうち何冊かは定期購読し、その他は書店で立ち読みする。だが最近の雑誌グラビアにはあまり感動を受けない。一点の写真で夢と希望を抱かせるような秀作がない。ならば、阿部と私のかつてのコンビで、これぞ釣り天国という極めつけのショットを、夕陽のなかで撮りたいものだ。