92話  軽遠征


 ホームページのゲストの中で、幾人かは、本州から空路道北にやってきて、レンタカーを借り、宗谷の釣りに熱中している人びとである。釣り場や、居酒屋でその当人たちの話を聞くと、非常に気軽に稚内空港へ飛んできて、二三日から数日をイトウ釣りに費やして、またあっさりと郷里へ帰っていく。その遠征を地元民のように軽くやってのける行動力には、われわれは唖然とするばかりだ。

 なぜ彼らは時間と費用をかけて宗谷へイトウ釣りにやってくるのか。

 関東から度々やってくるトラ子、ラフィン両氏に聞くと、ふたりは異口同音に笑いながらつぎのように答えてくれた。

 「東京周辺で手近にトラウトを釣るとなると、新潟県や長野県です。高い高速料金をかけて高速道路を走り、現地に着いてもすぐ釣れるわけではない。入漁料もかかる。禁漁期間もある。釣り人は宗谷では考えられないほどいますから、川ではかなり歩かないと、まともな魚には巡り会えません。行き帰りのドライブと歩きに比較して、実釣時間が短すぎる。それに比べて、稚内空港に着いたら、30分でもう釣りになる。日本最大の野生の淡水魚イトウがですよ。しかも入漁料なしで」

 彼らは地元民とおなじくらい宗谷の川に精通している。それは、研究熱心なことと、豊かな交友関係をもっているからだ。いくらなんでもはじめて関東から飛んできてその日にイトウが釣れるほどラッキーな人はいないだろう。やや踏み込んで聞いてみると、トラ子氏にはチライさんが、ラフィン氏にはチライマンが付いている。最高のイトウ釣り師を友人にもっているわけだ。

 一方チライさんに聞いてみると、「そう簡単には釣り場を教えることはない。けれどもヒントは教えます。それに気がつくかどうかは、本人次第です」という。

 さて、彼らがどのくらいイトウ釣り場に詳しいかというと、猫も杓子も集まるようなメジャーポイントは、最初から避けているようだ。その代わり、ふつうは誰もが狙わないような中小河川から取り掛かっている。自分の足を使い、汗をかいて、開拓している。それがすごいし、好感がもてる。

私は宗谷のイトウ場にはかなり詳しいが、トラ子氏がくれた釣果のメール添付写真の場所がどうしても分からないということがある。もちろん背景を大きく写してくれれば、見当はつくはずだが、チラッとしか写っていない川では、同定ができない。まるで地元民の知識を試されているようだ。

首都圏と日本最北の地を行き来する彼らは、私とは20歳以上も若い。週末にパッとやってきて、竿を片手に辺境の地をさまよい、タイムアップになるとあっさりと日常生活に復帰する。彼らなら、日本各地の釣り場や、海外のフィールドでも同様に軽く釣行してのけるだろう。そういうエネルギーが自分にはもう欠落していることに気づいて、ちょっと寂しくなる。

いま最北の地の観光は行き詰まっている。利尻・礼文・サロベツ国立公園への団体観光客の入り込みが毎年減少傾向にある。なんども来てくれるリピーターがほとんどいないのだ。 

いっぽう、イトウ狙いの彼らは、究極のリピーターである。たとえ地域にはわずかな金額しか落としてくれなくても、宗谷を愛する彼らが、しょっちゅう来てくれることを、われわれは喜ばなければならない。

宗谷は日本のモンタナでありアラスカであると私はおもっている。一定のルールを作って、いつ来ても美しい川と巨大魚が棲む環境を維持し、安価な宿と優れた案内人をそろえ、全国からリピーターの釣り人をお迎えできれば、この最北のへき地がどれほど愛され、潤うことだろう。