87話  ストリートファイト


 街のけんかの話ではない。ストリートファイトとは、川中に立ちこんで、至近距離でイトウとやりあうという私の造語だ。大河の沖合いでヒットするのとはわけがちがう。ヒットしてから取り込むまでの心の余裕はない。

ストリートに当たるのは川。そこには、流木倒木沈木、深場、浅場など障害物がたくさんある。それらをかわしながら、竿とリールとラインを介して、巨大魚と移動しながらファイトするのだ。言い換えればイトウと同じ土俵に立って相撲をとるのだ。

 7月のはじめ、私は大川の真ん中に立っていた。瀬と渕が交互に現れるじつに心地よい川であった。前方に川幅が狭まっていかにも深い大渕が近づいてきた。

私はフルスイングでキャストし、ルアーが着水すると、リールをゆっくり巻きながら一歩一歩上流へと前進していった。水深は腰ほどで、まだどうこう心配するほどの水位ではない。こういう釣法は、長年やってきた私の得意技で、私にとって一番楽しい釣り方だ。川幅を約三等分して、右、真ん中、左に投げ分ける。ターゲットがどこにいても、どこかでルアーに気づいて、追いかけるだろう。

 しばらく水面を見つめていると、水面直下を大きな魚が移動しているうねりが川を横切って右から左、また左から右へと蛇行しているではないか。あれは小魚を追うイトウだろう。そのうねりが徐々に近づいてくる。わくわくする時間だ。

 射程距離20メートルにうねりが来たときルアーを投げ込んだ。ひと巻き、ふた巻きしたところで、ズシャと派手な水柱が立った。

 「やった!」

 魚が食いついたのだ。かなりの手ごたえと竿のしなりがうれしい。竿は左右にヒューンヒューンと振られ、そのたびに水しぶきが跳ねあがった。やがて魚が浮上した。70p級だ。べつに慌てるような大きさではない。すこしずつ川を下り、あと50mで魚をランディングする川原があることを確認した。もうこの魚はいただきだと安心した瞬間、イトウが火事場の底力を発揮して猛烈に頭を振り、ルアーの尾のフックを振り払って逃げた。愕然とした。

 気を取り直してまた先程の深場へ戻った。まだ1匹くらいいるだろう。その通りだった。

 一投目を投げて、リリーリングをした。ルアーが手元近くまで帰ってきたので、ピックアップしようとした瞬間、バケツほどもある大口が突然水中から現れて、目の前でルアーにかぶりついた。

 「ああ!」

心の準備もできていない釣り師は叫ぶしかない。もうラインが1mもないのに巨大魚がヒットしたのだ。とっさにベールを立てて、ラインをフリーにしようと試みたと同時だった。イトウはガッと頭を振り、ルアーを自分の口から跳ね飛ばした。この間わずかに2,3秒の出来事だった。 

 まるで道をのんびり歩いていていきなり脇から殴られたような気がした。背筋がざわざわした。いまのイトウは、多分メーターオーバーだったろう。

 こうして5分間くらいの短い時間で2匹の大物イトウをみごとにバラシた。こういう経験を大バラシという。

 私はあまりくよくよ後悔するタイプの人間ではないとおもっていたが、この日はかなり凹んだ。しかし、この2匹とも私の技術的な失敗ではなく、どうしようもない成り行きだったのだと自分をなぐさめた。そして、すぐにラインを22ポンドに強化し、ルアーのフック、スプリットリングを点検し、リールのドラグを調整した。

 「さあ、もう一回食いついてみろ。次は簡単には外されないぞ」

そうおもって、リベンジを期している。