84話  本波幸一スピリット


 初夏と晩秋にプロ釣り師・本波幸一氏は道北へやってくる。彼は、HONNAMI RODと名づけたルアー竿と、マキリと意匠登録したルアーを製作しているので、そういったタックルのテストも兼ねているが、主目的は、「大物イトウを釣る」ことなのだ。

 ことしも本波名人がやってきた。朝から夕方までロッドを振り続ける日々を送るためだ。彼はあちこちの釣り場を転戦するような凡庸な釣り人ではないので、決まった場所にデンと腰をすえて、そこに回遊する巨大魚を相手にする。いわば定点観測である。

 彼が決まった場所にいてくれるので、彼に会いたい釣り人は、そこへ行けばいい。彼は寡黙であるが、懐の深さと独特の求心力をもっているので、彼を知るひとはみな本波ファンになってしまう。

 ことしも私は本波名人に会いたくなって、夕方そのポイントに出かけていった。岸辺から現れた本波氏はすでに赤黒く日焼けして、歯の白さがひときわ目立った。まずは半年ぶりの握手を交わす。ふと見ると、イトウの会ホームページでもおなじみの名手チライマンもそばにいた。地元の私はますます楽しくなる。私はその夕暮れ時は、ほとんど竿を振らず、本波名人の横で四方山話に明け暮れた。その日から、ことしも約10日間にわたる交友が始まった。

 本波名人の遠征時の生活はきわめてシンプルだ。朝2時には車の中で起きて、3時から川岸に立つ。それから夕方までずっと竿を振り続ける。これは常人のできるワザではない。まず体力的にもたない。さらに同じ場所に居続ける忍耐ができない。それを雨が降ろうが風が吹こうが文句ひとつ言わずにつづける。16時になると竿を仕舞い、近くの町で風呂にはいって簡単な夕食をとり、記録を整理し、翌日のため釣具の調整をやり、車のベッドで寝る。生活は簡素かつストイックであり、まるで修行僧のようだ。巨大魚との対話を続ける求道者ともいえる。

 そんな本波氏からことし一冊のパンフレットをもらった。「HONNAMI SPIRIT」と題した本波ロッドとルアーのカタログである。これは本波ファン垂涎の一冊で、彼の手になる4種のルアー竿と独特の型をした手作りルアー・マキリが載っている。

私が彼とはじめて会ったのは、プロ釣り師本波幸一が誕生した年であった。その頃はまだオリジナルのロッドとルアーはなかったが、ロッド製作の修行中であり、ルアーも未完成の無骨なタイプを試作していた。

 「これ使ってみてください」

ある年に渡されたルアーが、いまマキリと意匠登録されて発売されている製品のプロトタイプであった。手作りで重く、三日月形のどこにもない奇抜なフォルムの木製プラグであった。キャストするには腰の強いロッドと腕力が要るが、自重で川底をトレースできるルアーは、ゆったりとした動作で左右にボディを揺すり、大物イトウがたまらずにかぶりつくとおもわれた。

 実際にマキリでイトウを釣ったのは、2006年の6月で、82pと91pが来た。両方ともいわゆるかけあがりでドカンとヒットした。ルアーは平坦な川底をゆらゆらと泳いでくるが、かけあがりの斜面で水底にゴツンゴツンと衝突しながら複雑な動きをするときに、イトウはつい食いたのだ。

2007年になって満を持してHONNAMI RODが世に出た。ヤマメ用からイトウ用まで4種類のロッドだが、私が興味をもつのは当然イトウ用972である。本波氏はそれを私に提供してくれた。リール台に美しいイトウの頭部が彫られた逸品で、両手で振っても硬くそうたやすくは曲がらない。この竿を満月に絞る魚はメーターをはるかに超えた巨大魚のはずだ。

「メーター以下は問題にしない。メーターオーバー仕様で作りました」

本波氏が言うとおり、彼がいずれ150pイトウと闘うために世に出した超硬調ロッドなのだ。さて、そのロッドとマキリで本波プロの横に立ち、イトウを狙った。午後の川はササ濁り、水温22℃を超えたころ、私のロッドにゴツンとイトウがヒットした。待ちに待った瞬間ではあったが、魚と比べて竿が圧倒的に強い。竿先は軽く曲がったが、魚は身動きできない感じでたやすく近づいてきて、あっけなく砂礫の浜に横たわった。82p、5.2kgの銀白色のオスで、けっして小さくはなかった。それなのに全然ランディングの苦労はなかった。水中から強引に引き抜く感じであった。

 「強い竿だ。イトウの一匹でロッドに魂も入りました」

 私は「HONNAMI SPIRIT」と名づけられたこの道具なら、歴史に残る巨大魚と五分にやりあうことができるかもしれないと新たな夢を抱くようになった。