81話  源流行


 ことしは暖冬で、一挙に春が来ると期待したのだが、4月にはいって季節の進行が止まってしまい、イトウ産卵の時期は、例年並みに落ち着いた。私は、自分のイトウ釣り解禁日を特定の川の産卵がほぼ終わった日に設定しているので、産卵観察が済まないことには、釣りができないのである。 

 産卵観察のための源流行は、イトウ釣りとおなじくらい興味深いので、いつもうきうきわくわくしながら、残雪を踏んでゆく。

 ゴールデンウイークに相棒の写真家・阿部幹雄と産卵観察は初めてという川村謙太郎との三人で山へ向かった。まもなくエゾアカガエルの合唱が聞こえ、湿原には少ないけれどミズバショウとヤチブキの群生を目にした。

 「大丈夫、イトウは来ているよ」

私は大胆に言い放った。本流をそれて、支流に行こうと誘ったのも私だった。なんとなくそちらがいいような気がしたからだ。その選択が正解だったことが、すぐ分かった。

川幅2m深さ30pの源流に、80pの婚姻色のオスとやや小ぶりのメスが登場したからだ。オスはわれわれの気配に気づいて、姿をくらましたが、メスはけな気にヒラヒラと身体を横に傾けて堀り行動をつづけた。

川村君は大感激して、さっそくキャノンを取り出し、バチバチと激写をはじめた。プロの阿部はこのくらいでは全然撮影するそぶりを示さない。私ははしゃいでいる川村君の姿をカメラに収めた。

この支流では、オスメスのペアのほか、劣位にある小さなオスと強いオスとの争いや、ちょっと遡上できそうもない構造物に果敢にジャンプをチャレンジするイトウも目撃できて、まずは大収穫であった。

私はイトウ釣りに他人を誘うことはまずない。イトウ産卵の観察行に誘うことはさらにまれである。それは絶対に信頼のおける人物でないと、イトウの存亡にかかわるとおもっているからだ。仮に、イトウを捕りたいと企んでいる人物にイトウが無防備に河川に遡上する場所と季節を教えると、網で一網打尽に捕獲される恐れがあるからだ。

私たちは、支流をあとにして、本流を遡った。本流域は、まだ増水し、濁りも強くイトウを発見できる可能性は低かった。残雪が解けて源流部が増水する時期をすぎると、川は減水し、透明度もよくなる。雪が抑えていたクマイササが跳ね起きて、川辺にイトウには格好のカバーが生まれる。そういうお膳立てが整ったところへ、イトウが登場するのである。

今回は、「イトウの言葉が分かる(阿部談)」という小宮山英重先生にも会うことができた。産卵期間中は独りで川に通い、産卵域の見回りをつづける野生鮭研究所所長の研究者である。その研究手法は、足で稼ぐ泥臭い地道なやりかたで、とにかく労力と時間がかかる。しかし小宮山先生の数えた親魚の数、産卵床の数、卵の生残率などのデータは貴重な事実である。

夕方、私たちは、山を下りてきた。足は疲れているし、リュックサックを背負った肩も凝っているが、心は満たされていた。

間もなく駐車場で再会した小宮山先生と、「一般の人びとにイトウの産卵風景を見せてもいいか」という話題で立ち話をした。

 「感動的なイトウの産卵を見せれば、誰だってイトウを保護しなければならないことは理解できますね」

 「みなさんに見ていただきたい。しかし、ごく一部の捕獲目的の人物が混じっていたら、台なしになります」

私はまだ一般の人びとにイトウの産卵を見せることには懐疑的な立場をとっている。たったひとりの人物によりイトウの産卵が台無しになるほどイトウの資源は危ういのである。

毎年、てくてく歩いて源流へ行くと、そこには懸命に種族を残そうとする生きものの神聖な行動をまじかに見ることができる。

 「ことしもイトウは大丈夫だ」と確認するとフッと気持ちが安らぎ、私はウオッチャーからアングラーへと変身するのだ。