80話  定年


 勤め人には、定年がある。ホームページを見てくれている人びとは、大多数が若い人びとだとおもうが、定年はいずれかならずやってくる。最近では私も含めた団塊の世代の定年退職と定年後の生活がよくとりあげられ、そのテーマで書かれた本が売れている。

 定年で職場を離れると、仕事しかしてこなかった人びとは、その時点で社会との接点を失って孤独感にさいなまれるそうだ。人は社会的存在であるから、だれにも相手にされなくなるとつらい。だから、職場がある年齢のうちに、社会との接点をいくつか作っておくべきであろう。この場合の接点は、職場と無関係のほうが定年後にも役にたつ。仕事がらみの人間関係は、仕事がなくなった時点で消滅するかもしれないからだ。

いっぽう釣り師には、定年などない。体力と気力さえ保持できれば、伝説のイトウ釣り師・草島清作名人のように70歳代後半になってもイトウ釣りができる。本流に立ちこんで長尺竿を操る草島名人のすがたには年輪を重ねた大樹のような風格が備わり、ちょっと近づきがたい。それでも草島名人は自分の子や孫のような年齢層にも気軽に声をかけてくださる。おなじ釣り好きにとって、世代のちがいは問題にならないようだ。

私は物心ついたころにはすでに竿を持っていた釣りキチであるから、釣り師のキャリアは医師の32年をはるかに上回る50数年ということになる。医師はそのうちに辞めることになるが、釣り師は死ぬ直前まで辞める気は毛頭ない。

自分の趣味を定年後の「毎日が日曜日」になってからやろうというのは大間違いで、定年後の体力・気力の下降時期にはじめても成就できるものではない。やりたいことは今まさにやるべきであって、賃金を得ている職業以上にやりたいことであれば、職業を辞めてでもやるべきなのである。

JR東日本を辞めてプロの釣り師になった本波幸一氏とは、趣味と職業の論議を焼酎黒丸を酌み交わしながらよくやっている。彼の場合、もちろんJRを退社してから釣り師をはじめたわけではなく、JRを辞めるときにはすでに経験も技術も人気も知名度もプロといってもおかしくないレベルにあったわけで、だからこそプロとして成功を収めているのだ。彼は設計技師から釣り師へ「転職」したのだ。ふつうのただ釣りが好きといったレベルの人が、仕事を辞めてプロになったとしても、誰が相手にしてくれようか。

私も定年後は、釣りが中心の生活をしたいと望んでいるが、そうなるとトラウト釣りの困難な冬場の北海道は無駄になる。できれば冬を逃れて、南半球の夏に移動したいとおもっている。

渡り鳥には、キョクアジサシのように、南極から北極へ、また北極から南極へと豪快な季節移動をする鳥もいる。私はキョクアジサシとまでいかなくても、せめて北海道とニュージーランドを季節移動して、トラウトを釣りまくりたいと考えて、資料集めに精をだしている。これは晩年に京都と札幌を季節移動して人生を楽しんでいた父親ゆずりの発想である。

私のような年齢にさしかかると、ふつう多少とも人生の疲労感みたいなものを感じ、早くさまざまな制約から逃れて自由の身になりたいとおもうことがある。その一方で、まだ気力も体力も残しているのだから、社会的存在として機能し、生計を維持し、すこし余裕のある人生を満喫したいともおもう。むずかしい世代なのだ。できれば、職業がブツンと途切れるのではなく、すこしずつ仕事をテーパーして縮小し、そうやりつつ趣味の比重を拡大していくような定年でありたいとおもうのだが、うまくいくだろうか。