75話  産卵


 イトウの産卵については、研究者、報道関係者、愛好家が毎年、定点観測をやり、画像や映像で記録している。釣り師はおもに釣りという手段でイトウを見ることができるが、その他のひとびとは、産卵の季節こそがイトウと巡り会う数少ないチャンスなのである。

野生動物の数と分布を調査する場合、鳥や獣はその姿を目視することができるが、魚の場合は産卵期がほとんど唯一の観察機会となる。かつては研究の名のもとに、釣りのできない禁漁河川で網をかけて大量のイトウを捕獲(つまり殺し)したヒトもいるが、現在では環境省が絶滅危惧種と認定したイトウにそういった荒っぽい研究手段はもう使えないだろう。だからイトウを見るためには、残雪を踏んで長い距離を歩かなければならない。

 私はイトウ釣りをはじめて、7年目になってようやく産卵風景を目撃した。そのときは、阿部幹雄がいっしょで、産卵区域と想像した川の源流までひたすら残雪を歩き、川の流れからけっして目を離さず、必死で魚影を探しつづけた。その日は人生のなかでも片手5指にはいるほど幸運な日で、初見参にもかかわらず、イトウを14匹も目撃した。そのほとんどは赤い婚姻色に染まったオスであったが、よく見るとオスの近くには地味な色のメスもいた。ほふく前進して産卵床を掘っていたペアを撮影していると、なんと20分ほどで産卵放精の決定的瞬間にもめぐりあった。

 「イトウの産卵シーンなんて、簡単に見られるじゃないか」と笑ってしまうほど、ラッキーだったのだ。しかしそれ以来、そんなにたやすくイトウを見たことは一度もない。これはイトウの神様のおぼし召しであった。

 イトウの研究者やイトウを撮影している写真家は多くはない。誰と誰と誰というふうにすぐ名前がおもい浮かぶ。しかもその人びとは、毎年おなじ川に入って仕事をする。そうしないと経時的な観察ができないからだ。また得意の撮影ポイントも決まっているらしい。圧倒的に魚影の濃い川、観察のしやすい川、アプローチが比較的短い川などが人気の産卵河川となる。私もそういう川に入るが、それ以外にも未調査の川を開拓したいとおもっている。去年、未調査の川に探検にでかけて、たった1匹だがイトウのオスを見つけたときはしてやったりと喜んだ。

 イトウの産卵観察には地形図を丹念に読んで、おそらくこの川の源流部のこのあたりで産卵をするだろうと予測し、週末の朝に川沿いを歩いて源流を目指す。ちょうど雪解けのころだから、中流は増水して濁っている。湿原のあちこちに雪解けの水たまりがあって、そこにエゾアカガエルの卵塊がどっさり生みつけられている。カツカツカツと乾いた音を立てているのはキツツキの仲間か。残雪はブスブスとぬかって歩きづらい。気温はまだプラスのひとケタだが、つぼ足で歩いているうちにジワジワと汗が噴いてくる。

冬眠から目覚めたばかりのヒグマの足跡が点々と雪面に残されていることもある。足跡の親指から小指の間の幅を測ってみる。14p以上あれば、親熊か。やっぱりドキッとするが、ヒグマは見たいような見たくないような存在であり、川を挟んで対岸の遠いところにいるのであればむしろ歓迎だ。私はヒグマスプレーと鈴を持っているが、そんなものが役に立つかどうかは、わからない。

空を見上げると、尾羽根の白い巨大な鳥がゆっくりと舞っている。あれはオオワシかオジロワシだろう。この時期、川の王者イトウ、陸の王者ヒグマ、空の王者オオワシのそろい踏みが見られることもあるはずだ。そんな恵まれた自然環境はもう宗谷しかあるまい。阿部は婚姻色のイトウをくわえたヒグマやイトウに爪を立てるオオワシの写真を撮りたいというが、そんな光景を近くで撮影できたら野生動物写真家の冥利に尽きることだろう。

源流部の川はもう環になってしまいそうなほど蛇行していて、一見してどっちが上流でどっちが下流なのか見分けがつかないこともある。川岸にはササが生えていて、残雪を払いのけるようにササが立つと、魚にとってはいい隠れ場ができる。ペアが産卵床をこしらえるのは、瀬尻のわりに浅い場所であるから、ササなどの遮蔽物がなければよく見えるはずだが、現実にはそうはいかない。ヒトはササの陰でジワジワと前進して、よいカメラアングルを得ようとする。この場合、ササのおかげでイトウもヒトを視認できない利点もある。

イトウの産卵行動については、詳しくは書かない。具体的には産卵床の掘り行動、オス同士の争い、産卵放精、埋め戻し行動は、サケ科の他の魚とほとんど同じだろう。ひたむきなオスメスの産卵行動をまじかに見ると、誰もが感動をおぼえるにちがいない。私は阿部と腹ばいになって、魚体に触れるくらいの近さで観察したときの震えるような興奮を、ずっと降り続いていた雨の冷たさとともに忘れることができない。

イトウの産卵は、ごく限られた人びとしか見ることができない。それはこの貴重な魚が、渾身の生命力で子孫を残す作業であるから、誰も邪魔できない。私は、毎年、産卵するイトウに宗谷の自然環境の未来を託しながら、息を呑んで見守っている。