69話  写真撮影


 キャッチ&リリースが定着した現代では、釣った魚をカメラに収めることが、非常に重要になってきた。まさか写真なしで、心のなかに思い出の魚をとどめることは難しいし、大魚の自慢話もできまい。釣り大会でも、スケールの入った釣魚の写真で優劣を競うこともある。そんなわけで、写真撮影は、魚釣りの立派な技術のひとつとなった。

 私は、以前から一眼レフカメラをもって釣行にでかけてきた。カメラを濡らす、カメラを水没させるなどの修羅場をなんども経験した。ただ記念に写せばよいというコンパクトカメラでは物足りない。やはり、引き伸ばしに足る画質の優れたカメラが必要なのだ。

カメラはいまフィルムカメラからデジタルカメラへの過渡期にある。デジタル一眼レフは、釣りでももっとも役に立つカメラであり、私はもうフィルムカメラに戻るつもりはない。私は多種多彩の機能を使いこなす能力はないが、撮影可能枚数の多さと瞬時に記録を確認できる機能が愛用している主な理由である。一時水中カメラにも色気を出したが、水中カメラでは陸上風景は撮れないし、機能が限られているので、これ一台だけ持参するわけにはゆかない。

いっぽう、水はカメラの天敵である。カメラを濡らさない装備と技術を持っていなければならない。カメラの防水バッグはいろんなものが世に出ているが、バッグが水中に沈んでも中身を濡らさないと豪語しているメーカーはない。つまり保障する自信がないのだ。私は、阿部幹雄が道内のウエットスーツメーカーに発注して作らせた防水バッグを愛用している。外見はおしゃれではないが、この製品は今のところ水中に沈んでも中身は大丈夫である。どうせ需要がさほどあるとは思えない商品だから、市販される見込みは少ない。カメラを濡らさない技術というのは、できる限り防水袋のなかに入れておくことに尽きる。特に、水中を移動する際は、絶対に無防備にぶら下げてはいけない。移動時になにが起きるかは分からない。人はこんなところでは絶対に転ばないだろうと思ったところで、突然こけるものだ。

 撮影技術に関しては、正式に習ったことなど一度もない。私が幸運なのは、相棒の阿部幹雄がプロのカメラマンであり、いっしょに釣行を繰り返しているうちに、自然に撮影技術の基本を見て覚えたことだ。私が釣り師で、阿部が写真家だから、当然ながら写すコマ数は、110ほども違う。写真の質もまるきり違う。それでも本命のイトウはもちろん、自然の森羅万象を貪欲に記録する姿勢は身につけた。

 私はいま、釣り場の風景、可能ならヒットした魚のファイト、ランドした魚の各種ショット、抱っこ写真、リリースした魚の動きなどをワンセットで撮ることにしている。もちろん魚の大きさにより、ショットの数は増減する。私の釣りは原則として単独行であるから、他人にシャッターを押してもらうことは期待していない。だから、ファイト写真や抱っこ写真の撮影は非常に難しいが、長年工夫して撮影してきたので、今では自然にできる。

 私の愛機はニコンD100D70である。最近はズームレンズを装着したD70を持ち歩いている。一度雨に濡らして、うんともすんとも言わなくなったが、購入後1年以内だったので、無料で修理をうけた。

 D100は高級カメラで、できれば水の上で使用したくはない。それでも購入後9ヶ月で生涯はじめてのメーターオーバーを釣ったとき、たまたま持参していた。夢中でファイト写真からランド後の各種ショット、さらには抱っこ写真まで取りまくった。そのすべてのコマがしっかり写っていたことで、このカメラ購入の元は取ったと思った。

デジカメ写真はコンピュータのCamedia Masterというソフトを使って保存処理している。優良写真だけをコピーして別に保存し、すべてのショットは1ヶ月分ごとにCDに移して、コンピュータからは削除している。デジタルのおかげで撮影後の処理は全部自分でできる。おまけにフィルム代、現像代、プリント代からは解放された。時代の流れに翻弄されるのは好まないが、流れに乗ったほうがいいこともある。