第68話 初秋 |
宗谷は冷涼の地であるが、ことしの夏はだらだらと牛のよだれのように気温の高い日々がつづいた。しかしお盆も終わりもう初秋である。日の出がずいぶん遅くなり、早起きの私がベッドを出るときは、まだ朝日は差していない。空には筋雲やウロコ雲が現れるようになり、吹く風が爽やかである。イタドリの白い花は満開であるが、いっぽうでその葉が赤く紅葉している。川の水位が秋雨のために増加したが、その分水温が15℃を切るほどに下がってきた。 9月は私にとって特別の月である。6月はイトウ釣り師の「黄金の月」であるが、9月は「宝石の月」といってもいい。9月は秋雨によって川の増水をきたし、まったく釣りにならない日もあるが、ひと雨が降り、魚が活性化するとよい釣果を得ることもある。コンスタントに釣れる6月と比べると、9月は気象に左右され、一か八かの大当たりが期待できるのだ。 ことしも9月初旬早々に、釣りの神様は私に優しかった。その日は、仕事を済ませて道北へ帰ってきた。帰宅を前に、いつもの川の様子を見にいった。前日もおなじ川をのぞいてみたのだが、増水と濁りのため釣りにならなかったのだ。しかしその日は、前日より20pほど減水し、透明度はほどよいササ濁りまで落ち着いていた。 本流に流れ込む枝川を伝って、本流に到達した。本流はまだ平水位よりは水かさが増して、私の得意な川通しの立ちこみ釣りはできないが、それでも十分に釣りにはなる。 この川は田園を流れる川で、護岸が行き届き、人工の川なのだが、それでも長い年月の末に自然が甦っていた。水鳥は豊富で、エゾシカやイタチ類も頻繁に現れる。魚類も多く、サクラマスもサケも産卵のために帰ってくる。 もちろんイトウも密度濃く生息している。 あまり広くはない淵をしばらく観察した。なぜか、ここは下流に向けてルアーをキャストし、逆引きすると魚が食いつく。ルアーでもリップが大きく、深く潜るディープダイバーの仕事場なのだ。その日もいつものように、対岸よりのコースから逆引きをはじめた。二度目まではなにも起きなかった。三投目、ルアーがグググの潜水し、水深2mの水底にたどり着いたころ、急ブレーキがかかったように、ストップしたとおもったら、水面がかき乱されてさざめき、竿先が勢いよく引っ張り込まれた。この川でこんな引きかたをするのは、大物イトウしかいない。 「よっしゃー」の声がでる。 まずは挨拶がわりに、二発アワセを入れた。竿を伸ばされないように水面とは直角に立て、すこし反りぎみに構えて、竿の剛性で引きに対処する。リールのドラグ機構をちょっとだけ弛める。あとはロッドとリールとラインに仕事を任せて、釣り師はイトウとは喧嘩しないのだ。リールの逆転音、ラインの音なり、魚のたてる水音が楽曲のクライマックスを告げる。ときどきイトウの頭部がボコッと水面上に顔をだす。派手な水柱が立つ。そういう快楽に酔いしれながらも、釣り師は魚を岸辺へ岸辺へと追い詰めてゆく。最後は水際のひたひたに魚をズリ揚げて、伝家の宝刀の膝バサミで魚の動きを封じる。こうして体長85p、体重5.5kgのちょっと痩せ型のイトウをキャッチした。 初秋はじつに心地よい季節だ。ススキの穂が揺れる風景は、哀愁を感じるが、晩秋の命燃え尽くすような悲壮感はない。もうフィッシングジャケットを着ても汗ばむことはないが、手袋が欲しいほど冷たくはない。春のなにがなんでも釣りたいという狂気は落ち着いて、静かに澄んだ気分で魚を追うことができる。春におろした新しいウエーダーがしっくり身体に馴染んでいる。今季もすでになん十匹かの釣果の実績があるから、あんまり欲張ることもない。そして、一日の釣りにちょっと疲れたころ、タイミングよく駆け足で日暮れがやってくる。 |