67話  酒庵きらく


 札幌ススキノのビルの4階にその酒場はある。「酒庵きらく」と書かれたのれんをくぐって、引き戸を開けると、カウンターの向こうに優子ママがいる。

「あら、いらっしゃい。仕事?」

 いつもこんな具合に席につく。いまは札幌に出るときは仕事がらみなので、たいてい日焼けした顔に似合わないスーツを着ている。

 私はいま稚内に住んでいるので、遠来の客であるが、むかしは常連であった。なにしろ25歳のころから30年以上も通ってきたのだ。先代のママが、通称しょんべん横丁に開いた店から、二軒目を経て、いまの店に移転してもう10年以上になる。

 「きらく」には、フリーの客はすくない。L字型のカウンターを囲む客は、ほとんど常連で、しかもお互いに交友がある。ここは、知るひとぞ知る「もの書きたちの酒場」である。直木賞や日本推理作家協会賞を受賞した作家も受賞前から客として飲んでいた。キープされたウイスキーを収納したサイドボードの横に、図書館にあるような雑誌ラックがあり、そこに陳列された本はすべて客の作品なのである。有名無名のさまざまなジャンルの本があり、私と阿部幹雄のイトウ本も末席をかざっている。

 「酒庵きらく」に釣りキチは私ひとりである。そのせいか特別待遇を受けている。それは、カウンターごしの壁際に飾られた私の「100pイトウ抱っこ写真」である。もう酒場の色香、哀愁、倦怠、夢幻などが染み付いてセピア色をしている。

「どう?最近の釣果は」

ウイスキーの最初の一杯は、ママが作ってくれる。あとは客が自分の前に置かれたボトルから、勝手にグラスに注いで、ロックや限りなく原酒に近い水割りをグビグビ飲むことになる。

 人生の喜びのひとつに、好きな酒場をもつことがある。のれんをくぐると、そこには気心の知れたママがいて、自分の席があり、いつものウイスキーがあり、年齢を超えた良き飲みともだちがいる。そこは家庭でもなく職場でもない自由でちょっと無頼な空間である。

むかし私はいちばんの若輩者で、カウンターの隅にひっそりと座って他の客の会話を聞きながら黙って飲んだ。いまは私も多少しゃべるようになり、団塊の同世代の人びとが店の主要客を占めている。

長年通っていると、客のなかには、鬼籍に入ったひとも何人かいる。なかには、自分が納まる棺おけをこつこつと自作している大先輩もいる。

「きらく」の文化度の高さは、毎年「きらく文化祭」がギャラリーで開催されることからも知れよう。師走になると、ホテルの部屋を借り切った「きらく大忘年会」が挙行される。いずれ「酒庵きらく」から、新たな人気作家が誕生するかもしれない。

イトウは、その生息数と生息地域の乏しさに比して、たいそう著名な魚である。文豪開高健をはじめ、イトウに関する著述も、後を絶たない。これからもイトウが登場する優れた文芸作品が世に出ることを期待しよう。

イトウというと、新聞紙上ではかならず「幻の魚」という冠詞がついて、自然保護や環境問題が常に連鎖的に登場するのだが、私はあまり難しいことを考えながら小説を読みたいとは思わない。ぜひとも150センチ超えの巨大魚と大物釣り師の闘いというシンプルなテーマにしぼって、「老人と海」のような作品を誰かに書いてほしいと思っている。それだけで十分に味わい深い小説になるだろう。

私も「きらく」の常連客と同様にものを書くことが好きで、こんな連載物を書いている。付き合いのある釣り師は、伝説のイトウ釣り師、日本最強のイトウ釣り師、大物を高率に掛ける釣り師と役者はそろっている。名手たちがどんな釣りをするかも知っている。つまりもの書きとして取材はできている。

「それじゃ、高木さんが書いたら」

優子ママには言われそうだが、「おれだって物語の主人公になるつもりなんだ」ということばをグッと呑みこんで、「文章修行します」と控えめに答えておこう。