65話  酪農家


 私たちイトウの会が釣りをしているのは、主として宗谷から留萌・上川にかかる一帯である。そこでは気象条件の厳しさから米の生産が困難なため、農家はほとんどが酪農家である。われわれが竿を振る河川は、中流部ではほとんどが酪農地帯を流れる。したがって、釣り人は酪農家との接触がなにかと多くなる。

酪農家の放牧地や牧草地は広大で、その一部を歩いて横断したくらいで文句をいう農家は少ないが、車ごと踏み込むと話はべつである。考えてもみるといい。自分の敷地にまるで赤の他人が、庭の草木をなぎ倒しながら侵入したとき、腹を立てないほうがおかしい。しかも酪農家という職業は、祝祭日でも週末でも休みなく働いていて、われわれ釣り人のようにその時点で休暇をとって遊んでいるわけではない。額に汗して労働しているところへ、遊び車がうろうろすると、怒りを燃やすのは当然であろう。

また牛が放牧されている囲い地は、原則として入ってはいけない。釣り人が落としていったゴミやルアーをもし牛が食ったらたいへんだ。囲い地のゲートを閉め忘れて、牛が外へ逃亡するアクシデントも起こりうる。

たったひとりかふたりの無神経な釣り人のせいで、釣り人全体が評価されるのは、たまらない。無法者は同じ釣り人が注意するしかない。

私のように長く地元に住んでいると、酪農家ともさまざまなお付き合いをすることになる。あんまり頻繁に敷地を横断させてもらうので気兼ねして、菓子折りをもって挨拶に行ったこともある。車を土手から落として、もっとも近い農家に電話を借りにいったこともある。春のイトウ産卵観察のため林道に車で突入し、案の定泥濘にスタックし、最奥の農家まで阿部幹雄に走ってもらって、トラクタで車を引っ張ってもらった苦い経験もある。その際は、お礼の金品を頑として受け取らない農家の若主人に一升瓶を届けた。いっぽう、農家の人びとが病気にかかって、私の勤める病院で治療することも多い。こうなると、往診とまではいかなくても、患者さんの顔を見るという口実で、あつかましく農家に上がりこんで、お茶とお菓子などをいただいて帰ることになる。

6月下旬から7月にかけて、酪農家は猫の手も借りたいほど忙しい。日常の搾乳や牛の世話のほか、牧草地の一番草の刈り取りがあるからだ。酪農家は天気のいい日を狙って広大な牧草地にトラクタを持ち込み、一気に刈り取り、天日干しをし、これらの草をロールにまとめていくのだ。大型機械を導入して、広い牧草地を一気に丸刈り散髪するような仕事は、見ていても気持ちがいい。また刈り取ってくれると、釣り人もらくに川まで歩いていけるのでまことにありがたい。

私の二つ違いの従弟は十勝の酪農家である。彼は釣りも好きで、広い敷地に流れる清流から水を引いて、自家用にヤマメを飼っている。食べたくなったら、竿を振り、10匹ほど収獲するそうだ。ヤマメとはいえ、30pにも成長していて、たいそうな手ごたえだという。彼のような釣り人の気持ちが分かる酪農家ばかりならば、問題は起きないだろう。

いま日本人は牛乳を飲まない。そのため酪農家の生産する牛乳が売れない。ホクレンでも前年度と比べて、9%の減収だという。かくいう私もむかしはもっと牛乳を飲んだはずだが、いまは一日グラス一杯も飲んでいない。なぜ飲まないのか。もっと手軽でうまい飲料があることと、賞味期限の問題もあるからだろう。

牧歌的な酪農風景は、北国宗谷のシンボルでもある。これがすたれるようでは、北国の未来も明るくない。釣り人が酪農衰退に対してなにかできるわけではないが、せめて酪農家に嫌われないようにはしたい。働いている相手には、敬意を表し、近くにいるときは会釈をするとか、軽く話しかけるとか、なにか手だてはあるはずである。

北海道の川は、英国とはちがって、私有の川ではなく、立派な国有財産である。酪農家の敷地を通り抜けて、川に立ちこんでしまえば、誰に遠慮も要らない。あとは違法にならない釣法で、環境を壊さないように配慮しながら、存分に魚釣りをたのしめばいい。