64話  開拓者


 開拓者魂ということばがある。フロンティアスピリットともいう。私の好きなことばだ。もともとは原野を切り開いて入植した不屈の人びとの精神であったが、いまは各界のトップランナーであり、挑戦者でもある人びとの心意気のことだ。

 イトウ釣りの開拓者は、むかしも今も存在する。その動機付けの根底には、日本産最大の淡水魚というイトウの限りない魅力がある。イトウが北海道に広く分布していた古き良き時代なら、わざわざ辺境に出かけて釣らなくても、近くの川で十分に釣りができただろう。しかし、いまは生息地が限られていて、そう簡単にはお目にかかることができない。

そこで開拓者が登場する。開拓者は時間と空間でふつうの釣り人ができない釣りをやり、新境地を切り開く。時間とは、ふつうの釣り人が1時間しか竿をふらないところを1日あるいはそれ以上にキャストしつづける。空間とは、ふつうの釣り人が行かないところへまで足を伸ばして、そこで手付かずの魚を釣る。どちらも口でいうほど簡単にできることではない。

時間の開拓者の代表は、本波幸一名人である。いま彼は、特別の場所へ進入するわけではないが、誰もができない長時間をかけてひとつの釣り場を攻略する。確かに、同じところに一週間以上も朝から晩まで立ちこんで竿をふっていると、その場でなにが起きるかはだいたい分かる。いつ、どんな気象条件のとき、巨大魚が岸に近づくかが分かる。ため息のでるような時間に耐えて、彼は巨大魚を手にしてきた。だから、短い時間だけ本波名人のそばに来ても、ただちに彼とおなじ釣果は得られない。たいていは根負けして成果なく立ち去るであろう。

空間の開拓者は、メディアには登場はしない。そういう人びとは、人知れず辺境に到達し、誰もが知らないような質と量の魚を手にし、またひっそりとマチに戻ってくる。語り部としては登場しないが、開拓者はイトウ釣りの世界にも確かに存在する。

私も以前は、空間を旅して、人跡の途絶える川でイトウを追いかけてきた。それには、不屈の開拓者魂と強靭な肉体が必要だった。たった1ヵ所を攻めるのに6時間から8時間も労力を費やしなければならない。ある時は単独で、またある時は写真家の阿部幹雄とそういう釣りをしてきた。

私はいまだに初めてのルートに挑む期待と不安を夢のなかでみる。大真面目に、生きて帰れないかもしれないと覚悟をしながら、未踏の川に挑戦していた日もあった。背が立たないかもしれない泥壁の川に、恐る恐る立ちこんで、釣りあがっていった。川底がぬるぬるして、いったん滑り始めると体位をこらえるのが非常に難しい。バランスを崩すと、転倒し身体が浮き上がってしまう。そうなると、つかまる木もなく、上陸する場所を探しながら、流されていくことになる。一度痛い目にあうと、人は工夫する。滑りづらいスパイクシューズをはき、泳ぐことを前提にして、再挑戦するのだ。そんな経験を重ながら、自分にとって未踏のルートをひとつひとつ攻略していった。

残念ながらいまの私には、まとまった時間がなく、開拓者魂も体力もすこし衰えてきたので、未踏のルート開拓はほとんどやっていない。

しかし最近、イトウの会HPの若いゲストで、開拓者の釣り師が出てきたことは、非常に頼もしい。いまは挑戦しつづける空間のことは、他人に漏らすべきではないが、いずれ過去形でどんな冒険をし、どんな釣果をあげてきたのか語ってもらえばよかろう。それはきっと、後継者に夢と希望を与えるにちがいない。

北海道は広大である。宗谷でなら、誰にも会わずに一日中釣りをすることもできる。おそらく北海道以外の日本国土で、深山幽谷の孤高の釣りができるところがそうたくさんは在るとは思えない。開拓者が活躍できるフィールドがいまだに北のはずれに残っていることは、幸せである。