63話  田舎に住む


 昭和22年から24年に生まれた団塊の世代の一期生が、いよいよ平成19年には定年を迎える。なにしろ800万人もいるという団塊の世代は、日本の戦後高度成長を支えてきた集団だから、リタイア後の動向が注目されている。私は団塊の世代の三期生である。

 過疎に悩む北海道の自治体は、団塊の世代に移住してもらって、人口を増やし、マチの活性化を図りたいと考えている。伊達市や長万部町のようにすでに活発な誘致活動に動いているマチもある。おそらく都会生活で消耗した初老の人々がかなり北海道に移住するにちがいない。

しかし、おなじ北海道でも札幌から格段に離れた日本最北の地・宗谷が、移住希望者に人気があるとはおもえない。宗谷生まれのひとであっても、定年後は札幌や道央に移転して余生をおくろうとしているくらいだから、内地(道産子は本州以南のことをこう呼ぶ)出身の定年退職者が安易に住めるところではないのだ。なにしろ強風のため雪が横から降るという土地である。道央や道南と比べて気候は一段と厳しい。

定年退職者ではなく、働き盛りの年齢層が田舎に移住することはまれだ。仕事がないからだ。農村花嫁はいつも募集しているが、都会から招待される花嫁候補も、田舎の顔合わせパーティだけ楽しんで、実際に移住してくることはすくない。かわりに中国やフィリピンの嫁さんが嫁いできて故国に仕送りをしている。

さて、イトウが好きで好きで宗谷に移住する人が現れるだろうか。そこまでイトウに入れ込めることができれば、たいしたものだが、私の知る限りそんな人はひとりだけである。彼は宗谷に住み、産卵期には、研究者さえも知らない川で巨大なイトウの産卵風景を観察しているという。かくいう私も、イトウが好きで宗谷に来たわけではない。自分の所属する大学医学部の教室から派遣されてきたのである。来てみると、宗谷は釣り天国であることが後から分かったのだ。

イトウを生まれて初めて釣ったのが、1989114日で、当時すでに私は40歳であった。イトウ釣り師としては、非常に遅咲きである。いまイトウの会ホームページを見てくれているゲストが、いったい何歳くらいの人びとなのかは知らない。しかし、主力は20から30歳代であろう。40歳以上の中年といわれる人びとはどれくらいいるのだろうか。

私はイトウ釣り師としてのスタートは遅かったが、地元という地の利に恵まれて、一気に階段を駆け上るように、イトウにのめりこんでいった。むかしから、一点深堀型の熱中人間であり、体力もあったので、集中的にイトウ釣りに没頭したのだ。

最近、生まれ故郷京都の同窓会に出ると、ずっと都会で人生を送ってきた旧友が、「お前、なにが面白くって最果ての田舎にいるんか?」「京都はいいぞ。千年の都だ。早く帰ってこい」という。確かに、普通の生き方で満足する人には、都会が最高だろう。

むかし田舎にいて、いまは都会に住む人から、メールをもらうと「酸欠を起こしそう」と書いている。少なくとも田舎にいると酸欠は起きない。息苦しくもない。慌しくもない。ただ都会の便宜、刺激、群れることの安堵感がないだけである。

人生はどこで過ごしても一生である。都会でさまざまな便宜を享受しても一生であるが、田舎で各種の不便を味わっても一生である。いっぽう田舎でしか味わえない快楽に充ちた一生もある。

いま私は田舎に住んでいるが、仕事でけっこう頻繁に都会へ出張もする。二種類の名刺を持って人と会う。ひとつはなんの変哲もない病院医師の名刺で、もうひとつは100pイトウを抱いた写真つきのイトウの会会長の名刺である。前者で相手と面会し、うち解ける相手なら後者も渡す。相手が急に人間味豊かな人物に変化するから不思議だ。イトウ釣りのご利益かもしれない。だから人生はおもしろい。