第61話 早寝早起き |
むかしから朝は得意だった。早寝早起きなのである。だから夏の朝はいくらでも早く起きて、フィールドに出ることができる。すでに明るい3時にうちを出れば、宗谷の川で朝飯前にイトウ釣りが十分可能なのである。 イトウが棲む川が近くにあるということは、釣り好きにとってまことに幸せなことだ。これまさに地元住民の恩恵に浴しているわけで、期待に胸をときめかせ、多大な時間と費用をかけて遠征してくる都会の釣り師たちには、申し訳ないくらいだ。 北海道では、夏の昼時間が長いことを活用し、仕事時間を前倒しして、夕方から夜の時間を余暇や消費生活に役立たせようとするサマータイム制の導入を試みている。私にしてみればそれはちょっと困ることだ。私が欲しいのは朝の時間であって、夕方から夜の時間ではない。朝の時間が長いから、仕事前に竿を振ることができるのである。夜など食事を済ませてさっさと寝ればいい。夜20時に就寝すれば、朝3時に起きても、睡眠時間は7時間もとっているのだ。 現代人は夜に起きているから化石エネルギーを浪費し、地球上の二酸化炭素を増加させ、むだな飲食をして生活習慣病になる。石器時代から江戸時代まで、人びとは太陽の昼夜リズムとともに生活をいとなんでいた。時代劇を見ればわかるとおり、江戸の夜中に起きている連中でろくな者はいなかったようだ。 本波幸一名人は、遠征をするときは朝3時から18時まで竿をふり、「釣りという仕事」を終えると、銭湯で汗をながし、簡単な夕食と若干の焼酎をやって、車の中にしつらえたベッドではやばやと眠りに就く。健康的で簡素なまさしく狩猟民族の伝統的な生き方ではないか。 6月中旬の未明、愛用の11ft竿を手に大河の岸辺に立つ。野鳥の鳴き声が対岸の林から聞こえてくる。たちこめた川霧が夜明けとともに静かに消えていく。ほんの少しずつ油を流したように平らな川面が色づきはじめ、美しいグラジュエーションが広がっていく。あっちにひとつ、こっちにひとつ大きな、心を揺さぶられるライズリングが生じて、まわりに波及していく。 「ああ、おれはこの雰囲気のなかで釣りをするために生きているのだ」 私は重く長い竿をふりかざし、渾身のキャストをくれる。42gのズッシリ重い本波ルアーが、大きな弧をえがいて虚空を飛び、派手な水柱をたてて大河に着水する。ひとつ、ふたつ、みっつと数えて、ルアーがべた底に落ちるのを待って引きはじめる。 「さあ、まだ見ぬモンスターよ、ルアーに喰らいつけ」 できるだけゆっくり、ふわりふわりと引いてくる。ときにポーズをとる。そういったヨタヨタの小魚の動きを演出しながら、引いてくると、岸近くのかけあがりで、カツンという鋭い手ごたえとその直後のグーンという重量感が心地よく伝わる。魚が竿に乗った。さあ釣り師の至福の時間が始まるのだ。 平日の早朝に良型一本あげると、本当に得をした気になる。上機嫌で家に帰り、いつもの朝の時間をゆったりと過ごす。釣り師とはまったくおめでたい人種だ。獲物など持ち帰らないのに1匹のグッドフィッシュの記憶が気分を明るくしてくれる。釣ったイトウの各種のデータは、コンピュータに取り込み、デジタルカメラの写真は、気に入ったものだけプリントする。アルバムに貼り付けた写真はほとんどイトウばかりだ。 北国宗谷の夏は短い。夏とはいっても気温が25℃ほどしかあがらない冷涼な土地で、無心にイトウを追い求める。日常に組み込まれた身近な釣りで、メーターを超すようなモンスターを掛けることもある。 宗谷は日常にこんな過ごしかたができる釣り天国で、日本の常識を超えたアメリカのモンタナ州に近い環境ともいえる。私は宗谷を日本のモンタナにして、イトウをはじめとする野生魚の保護管理、ライセンス制の釣り、ガイド業や釣り産業の育成ができたら雇用も安定するという夢を見ている。行ったことはないが、モンタナ州ボーズマン市のような環境に稚内市がなれればいい。緯度はだいたい同じで、人口は稚内が1倍半多く、両市とも空港をもっている。 田舎では早寝早起きが野外活動の基本である。フィールドとは明るいときに行くところだから。 |