58話  野の花


 宗谷の原野で釣りをしていると、河畔の森や湿原には、季節ごとにさまざまな花が咲く。花名にはうとい私だから、知名度の高い花だけは実名を記すことができるが、それ以外は、野の花としか書きようがないのが残念である。知ったかぶりして図鑑で調べて書いても、たいていまちがっていて、その道の専門家に訂正されるのがオチである。

 それでも年中イトウを追いかけて歩き回っていると、印象的な花や野草が鮮明に眼に焼きつく。宗谷でも植物あってのイトウである。

私は4月の声をきくと、屋内にいることにガマンができなくなって、まだ半ば結氷した川を見にいく。まだ魚を釣りたいわけではないが、川を眺め、川の水に触れたいのだ。やっと乾いた国道の路面のわきの土手斜面にまず顔を見せるのが、フキノトウである。宗谷では一番はやく春の到来を告げる希望に満ちた野草である。

 4月の上旬には、かならず遠別川を訪れる。川はまだ雪解けにも間があって、水は少なく透明度も高い。遠別川のごく一部の河畔に私が求めるヤナギがある。学名などわからないので、仮にエンベツヤナギとしておこう。このヤナギの芽は、私の人差指の関節から先ほどの大きさと太さがあって、他のヤナギの芽の追随をゆるさない。緑がかった銀白色のビロードのようにふくよかなヤナギの芽は、行きつけの喫茶店・珈琲待夢のママのお気に入りだ。いつも採ってくるように頼まれていて、垂れ下がった枝をほんのすこしいただいてくるのが恒例となっている。小枝に鈴なりになった芽は、ありきたりの生け花などとうてい及ばない存在感がある。

 宗谷の原始の川をカバーするのは各種のヤナギである。これを切ってしまうとイトウは生息できない。釣りに都合の悪いヤナギの木を切り倒したりしたら、イトウもいなくなる。ゆめゆめお忘れなく。

 イトウの産卵が行なわれる4月下旬から5月上旬にかけて、湿原にはきまってミズバショウ・エゾノリュウキンカ(ヤチブキ)・ザゼンソウがセットで咲く。こういった植生の水辺にはエゾアカガエルがいてゲロゲロ鳴いている。あたりには残雪もあり、そこにヒグマの足跡がべったり残されている。さまざまな春の息吹を感じてから、いざ川の王者イトウに謁見となる。

 5月から6月にかけて北国宗谷の野は百花繚乱のにぎわいとなる。百花も見分けることはできないが、そのくらいは咲いているにちがいない。目と鼻の先の礼文島には、レブンアツモリソウやレブンウスユキソウなど知名度横綱級の貴重な高山植物が平地に咲くが、私がうごめく原野にもおそらく貴重な植物が花開いているにちがいない。私の秘蔵するイトウのつき場の近くにはなぜかクロユリがひっそりと咲いている。クロユリは日陰に咲く花らしく、めだたないが可憐で、もしかするとイトウを呼び寄せる微香でももっているのだろうか。

 私は中小河川の川中を歩く。立ちこみ釣りあがりの釣法である。小さな川を両岸から守るのがイタドリである。渓流のえさ釣りで重宝されるイタドリ虫は、この茎のなかに隠れている。イタドリの下にイトウがいることが多い。イタドリ虫の落下を待つ小魚がイトウを呼ぶのだろうか。イタドリの不思議なところは、8月ごろ数多い白い小さな花を満開に咲かせながら、いっぽうで葉が紅葉するという現象である。

イトウともっとも縁が深い植物は、もちろんヨシであろう。湿原の川辺に密生するヨシをせっせと踏み分けて、釣り座と通り道を作るのは、イトウ釣り師の基本である。晩秋の夕暮れ時、黄金色に染まったヨシ原からそっと竿を出し、珈琲色のクリークにキャストする醍醐味は、原始の川でイトウを釣った人にしかわからない。ヨシは水辺に生えるが、ヨシの生えているところが陸地とはかぎらない。いきなり体重をすべて乗せると、水中に転落する恐れがあるので、十分注意するべきである。いったんズボンと川に落ちると、ヨシの束をつかんで上陸することはたいへん難しい。これは何度もその目にあった私からの忠告である。

イトウの棲む川が結氷しはじめるころ、最後に咲く花は、風花(かざばな)である。風に吹かれてまばらに飛んでくる雪のことだ。風花の咲くころ、私の釣りシーズンの竿おさめとなる。