57話  第一号


 春になり、雪代が収束すると、いよいよイトウ釣りのシーズンがはじまる。川の水位や透明度や色合いなどの状況は刻々と移り行き、釣りの条件はだんだんとよくなっていく。しかし、肝心のイトウがなかなか釣れないのが、この時期の特徴だ。

産卵を終えたイトウがいったいどんな行動バターンをとっているのか。これは誰も断言できない。しばらく上流をうろうろしているという人もいれば、あっという間に河口部まで川を下り、ときには降海して荒食いするという人もいる。それこそイトウに発信機でも取り付けて追跡しなければわからない。また、イトウにもいろいろな行動をとる個体がいることだから、一匹二匹の調査では正確なところは分からないだろう。

 5月の声を聞くと、半年待ちかねた釣り人は惰眠をむさぼっているわけにはゆかない。私は地元組だから、平日の早朝でも川の偵察に行くことができる。ついでにポイントのひとつふたつを探って帰ってくる。5月半ばともなると、北国宗谷では3時半にはもう十分に明るい。眠気まなこで車のハンドルを握り、いざ川へと出陣する。空は快晴でも川や沼には濃霧がかかっていることもある。ひんやりと冷たい空気は心地よい。チェックポイントであるいくつかの橋から、川の流れをじっくりと観察する。雰囲気がよさそうならすぐ実釣にとりかかる。しかし、平日の朝にイトウが釣れることはあまりない。なにかと慌だしいので釣りが荒くなるからだろう。

10年以上前は平日でもほとんど毎日釣りに励んでいた時期があった。

「一週間に何日くらい釣りをするのですか?」と聞かれて「休みは二日間です」と応えると、「じゃあ、土日だけ釣りをするということですね」と誤解されたので、「いや休むのは月金の二日間だけです」と言ってのけたこともあった。当時のプロ野球の試合日程とまったくおなじだったのだ。いまはさすがにそんな気力も体力もない。そんなにやらなくても、むかしとおなじくらいは釣れる。それが経験、知識、技術の蓄積というものだろう。

 宗谷の5月は、非常に天気がよい。毎日五月晴れがつづく。全国の越冬地から稚内大沼に集結したコハクチョウが編隊を組んで北へ飛び去るころ、私の釣りがはじまる。最初はまったく釣れるような気がしない。真茶色で膨れ上がった川を、あちこちと渡り歩くが、まったく成果がでない。ただでさえ数少ない魚を、川の条件が悪いときに釣ろうなんてムシがよすぎる。しかし、そのうちにほんの少しずつ、水がきれいになったような気がする。川全体をみると茶色なのに、すぐ足元をみると水中の水草がはっきり見えている。そういう状況になると、もう釣れるのだ。

 2006年の雪解けは、例年より2週間は遅れた。このため、川の減水も、濁りの消失も、イトウの釣果も2週間ずれこんだ。

 5月も下旬にはいった週末、私は「きょうこそは」と祈るようなおもいで、川へ向かった。まず最初の川で、ひさしぶりに川中に立ち込んだ。小穴があいたウェーダーからキュウと冷水がしみてくる。キャストした直後にイトウとはちがう当りがあって、瞬発力のある引きが竿をほんろうしたが、間もなくばれた。

 次の川は、ちょっと自動車道からは推し量れない好釣り場で、釣り人でも通しか知らない。薄茶色に変化して、瀬の石が見えるほど減水した川は、明らかに好条件にあった。

「釣れる!」と確信した。

 5投めのキャストで、もう忘れかけていた重い確かな手ごたえがあった。それからあとは、もう釣り師の身体が自然に反応していた。

 強引に引き寄せるのではなく、いなしすかし、怒りを鎮めるようにあやすように、いつしか足元まで魚をもってきて、大きなタモできっちりすくい取った。体色が薄く、黒点の数もすくない、肥ったメスで、体長は81pの大物だった。例年のことだから、大騒ぎするほどではないが、釣り師の半年間の心の飢餓を満たしてくれる一匹であった。

 カメラを防水袋から取り出し、全身、接写、抱っこ写真など一通り撮影をすませた。魚を川に放つと、大きく尾びれをふって、濁りのなかに消えていった。

 ことしは、第何号まで釣れるか。その中にどれほどのモンスターが混じるか。毎年それ見ることを無上の喜びとして川に通うことになる。宗谷のおおいなる自然に感謝と畏敬の念をもって。