55話  情報


 きょうは、釣り情報に関してちょっと危惧していることを書こう。

最近、釣り産業が道北の河川の実名を取りあげて、雑誌記事や動画でイトウ釣りをあおり、イトウ関連のグッズを売って収益を得ようとしていることである。

 いうまでもなくイトウは第一級の釣魚であり、これをターゲットにすると、釣り人は否が応でも興味を抱き、高価な道具を買い求め、ツアーに参加したくなる。ツアー客は案内してもらい道北に行けば簡単にイトウが釣れると安易に考えるらしい。それはまったくの錯覚なのだが。

組織の陰には、地域の情報に詳しい釣り人が必ずいる。釣り産業に肩入れし、案内することにより、名を挙げたいかあるいは業界とつながりを持ちたいふつうの人々である。イトウの命運や釣り場の荒廃などどうでもいいとおもっているらしい魂を売ったアマチュアである。じつはそういったアマチュアは、用なしになれば消耗品としてポイと捨てられるのに。

イトウ釣りの情報で釣り人が知りたいのは、どこで(where)、いつ(when)、いかにして(how)釣ったかという情報である。特にwhereは最も知りたい事項だが、これは資源保護のため絶対に教えない。私は自分のデータを開示しているが、whereだけは示さない。これを打ち明けたらその釣り場は荒廃するからだ。

私やチライさんのように普段親しくしている間柄でもこれは暗黙のうちに聞かないことにしている。ただし、宗谷地域のことであればお互いによく知っているので、話を聞いているうちに「あそこだな」と分かってしまう。はっきり場所名を挙げて会話をするのは、お互いにそこへ行ったことが判明した後である。

 阿部幹雄と私のあいだでは、釣り場の暗号名で話が通じるので、他人の前でも堂々としゃべる。「きのうボディコンで一匹あげた」というような話だ。

最近、非常に驚いたことがある。ある川のある地域は、両岸がびっしり樹木で覆われているうえに、水深が人の背丈より深いので

カヌーやゴムボートなどの「飛び道具」がないと手も足もでない場所である。しかし私はそこを生身で釣りながら突破できる。先日ある濃霧の朝、そこへ行ったところなんと先客がいる。しかも私のやり方を実践している。どうしてそのやり方を知っているのか不思議であるが、自前で編み出したか、私がやっているのを目撃したかどちらかである。参ったなとおもったが、どちらにしても危険を冒してそんなことができるのはズブの素人ではないので、仕方ない、さらに他人には教えないでほしいと願って静かに立ち去った。

 地形図から推測すると明らかに大場所なのだが、そこへ到達する労力、ヒグマなどの危険性から大多数のひとびとが尻込みする場所もある。そういった難所へ苦労して行ってみると、なんと先人の痕跡が残っている。すごい連中がいるものだと感嘆し、こころから敬意をはらう。もちろん私がその場所を公表することはありえない。

 湿原のヨシの背丈がまだ短い初夏しか陸路ではいけないポイントがある。そこへことしも3時起きで大汗をかきながら行ってみた。6時半ころからイトウがドボンドボンと跳ねはじめる。イトウが出た水面にすかさずルアーを投入するのだが、なかなか食いつかない。そのうちにピタッと静寂が訪れた。イトウの朝ごはんが終わったのだ。

「うーん、またもや報われない釣りか」

帰路の足の重いこと重いこと。それでもそのすさまじいライズを見るためにまた長い道を歩くことになる。 

 北海道はアマゾン流域ではないのだから、21世紀にもなって人跡未踏のところなどあるわけがない。しかし、一年に一度しか釣り人が訪れない場所なら存在する。案外身近なイトウつき場でも忘れられて人影がなくなっているところもある。そういった情報は、非常に貴重なもので、もし釣り人がいい思いをしたら、そっと胸のうちにしまっておいて欲しい。

現代はありとあらゆる情報が飛びかっている時代である。釣り情報もアップデートで伝わっていく。釣り人のなかには、そういった他人の情報で振り回されているひともいるだろう。なにごとによらずひとの後追いばかりしていても、あまりいい目をみることはないし、先人を超えることはできない。大多数の日本人はもう忘れているかもしれないが、開拓者精神を発揮し、汗と泥にまみれて、オリジナリティをみつけてほしい。

不特定多数の釣り人に釣り場情報を公開して、得をすることはなにもない。本人のためにも、イトウのためにも。