第54話 ワールドカップ |
サッカーのワールドカップは、国民的な関心事である。球技はまるでできない私でも、サムライブルーの試合はテレビで観戦している。ドイツでワールドカップが開催される6月は、イトウ釣り最盛期ともピッタリ重なっている。ジャパンの試合と重要な釣りの日時が重なった場合、ワールドカップ観戦をとるか、イトウ釣りをとるかは、ちょっとした悩みでもある。もちろん後者をとるに決まっているが。 NHKでブラジルのエース・ロナウジーニョを特集していた。幼少時から一日中サッカーボールで遊んでいた少年が、プロ選手の兄に学んで天賦の才が開花して、世界最高の選手になったそうだ。彼がCM撮影で、4回連続してノンストップでゴールポストに跳ね返るシュートを打つという映像が、本物か偽物か議論を呼んでいるという。このような伝説が生まれる名手の超絶プレイは、どうしても見たくなるのがファンの心理である。 釣りの世界でも、きっとロナウジーニョがいるにちがいない。どんなに過酷な環境でも思い通りのスポットにルアーを投入する技術、掛けた魚をあらゆる障害物を避けてきっちり捕る技術を備えたルアーマンもいるにちがいない。ふだんから、ルアーを30m先のバケツに放り込むようなトレーニングを積んでいる釣り人もいるにちがいない。 漫画家の矢口高雄氏とイトウ釣り談義をしたことがある。釣りキチ三平は、イトウ釣りを道東の湿原でやるのだが、倒木流木が複雑に絡み合った難しいスポットにどんどんルアーを放り込み、攻めの釣りを展開する。「あれが中小河川のイトウ釣りの技であって、安全な淵のど真ん中ばかり漫然と投げるような逃げの釣りでは、大物は得られない」と矢口氏に言うと、「その通り、ルアーの喪失を気にしてばかりいるような釣りではイトウはキャッチできない」と同意された。守るだけでは試合に勝てないのとおなじで、安全を無視して、果敢に攻めなければよい釣果は生まれない。 サッカーのゴールシーンで、目の覚めるような弾丸シュートにはうっとりするが、現実の僅差の勝敗を決めるのは、ゴール前のゴチャゴチャした肉弾戦の中で、とにかく押し込むような汚いゴールなのだ。おなじことが、イトウ釣りにもいえる。テレビの釣り番組で放映されるようなスマートなヒットシーンと取り込みは、むしろ少なくて、現実の湿原の釣りでは、釣り師はイトウとドロドロになって格闘するのだ。 サッカーでゴールが決まると、得点者はもちろん、アシストした選手も、その他の選手たちも一緒くたになって、抱き合って喜ぶ。あれはまことにいいシーンである。釣り人は、大物を釣ったときは、格好をつけてニヒルに構えないで、喜色満面で大喜びすればよいとおもう。亡くなった西山徹さんは、その点で天真爛漫で、非常に人気があった。 相棒の写真家・阿部幹雄は言う。 「高木さんは、イトウを釣ると身体全体で喜びを表現してくれるから、写真が撮りやすい」 負けたときはどうしよう。負けても健闘してよく闘えば、それなりに満足するだろうし、ブラジルみたいなサッカー王国に負けても恥ではあるまい。しかし、気迫が欠けていたり、凡ミスを連発してボロボロにやられてしまったら、くやしいにちがいない。イトウ釣りの場合、バレルことは日常茶飯事であり、私も3割ぐらいの確率でバラシつづけている。それはいいが、ここ一番の大物を掛けて、その姿も拝んで、もうちょっとというところでバラスとあとあとまで悔しさが尾を引く。詰めは細心の集中力を発揮してきっちりしなければならない。 ともあれ4年に一度の世界のビッグエベントである。私もジーコジャパンのゲームに一喜一憂したい。それと同時に私もことしはイトウ釣りの世界で大金星をあげたい。闘いを挑む場所も、そのとき使う道具類も決めている。あとは、時期を見計らって、腹をすえて、現場のピッチに立てばよい。頭のなかでファンファーレが鳴っている。さあ、いいプレイをやりに行こう。 |