第53話 ハイテク釣具 |
フィッシングショーのニュースを見ていると、さまざまなハイテク釣具が登場した。ウエーダーの脚に魚探を取り付け、携帯電話の液晶画面で魚影を見る装置も開発された。 いっぽう津軽海峡でクロマグロの一本釣りをする大間のハイテク漁師は、ソナーで魚影を確認し、掛った魚を船べりに引き寄せると、電気ショックで気絶させて取り込むそうだ。 遊魚と漁業はおのずから目的が異なるが、どちらにもハイテク機器が導入されて釣果をあげている。しかし、遊魚を楽しむ釣り師の立場から、私が前者を使うことはない。釣りの最大の喜びは実際に魚を釣ることではあるが、釣り場に立って、川の様子から魚の居場所をあれこれ推測することもまた大きな楽しみである。魚探で魚影を見ることは効率のよいフィッシングを約束するが、もし魚影がなければ竿をふることもむなしい。一日12時間以上も川に立ってキャストを繰り返す本波幸一名人に、こんな道具を使うかどうか一度聞いてみたい。 6月の河口部はイトウ釣りのメッカである。魚影も濃いが、釣り人もまた鈴なりだ。私は群集を嫌う癖があるので、寄り付くことはないが、あたりにいるはずのイトウの動きを読んでキャストするのは嫌いではない。イトウが水面に背中を出したり、跳び上がったりする絶対確証が得られると、釣り師はにわかに色めきたつ。そこまでいかなくても、小魚が逃げ惑ったり、鳥山ができたりすると、イトウが小魚を追いかけていることを確信してそこへルアーを投げる。五感が研ぎ澄まされているときは、「絶対に釣れる川の色」も感じ取ることができる。そういった状況から読み取る魚のサインは、釣りの醍醐味なのだ。 私は17年間にわたって、イトウを追いかけてきた。私の得意技は、他の誰も行かないような場所へ進入して、そこで無垢のイトウとあいまみえることであった。そのためには労苦をいとわなかった。以前は、ゴムボートやカヌーもよく利用したが、しだいにそのような飛び道具は魚に対しフェアプレイではないとおもうようになった。 そこで最近では初心に戻って、川風景を高台から注意深く観察し、地図と磁石で進入ルートを定め、実際に現地踏査をして釣り場へのルートを開拓するようになった。実際に2005年には、脚を使って、植生の密な湿原を横切り、湖を徒歩横断するような暴挙にでたが、結果的には新しい釣り場を開拓することに成功した。 他の釣り人がまったくいない処女地で悠々と竿をふる快感は、往復の疲労を吹き飛ばす。シカの足跡をたどって湿原深くにたどり着くと、驚くほど無警戒のイトウが背中をさらして泳いでいる。ここぞというポイントにルアーを打ち込むと、ゴンと叩きつけるような当りがあり、良型のイトウが竿に乗る。そうやって手にした1匹の価値は大きい。 ハイテクノロジーは、仕事の精度を高め、効率を上げ、危険を回避する。それは仕事であれば積極的に導入すべきものである。しかし、遊びの世界にあまりハイテクを持ち込むと、遊び自体が面白くなくなってしまう。釣りは魚と釣り人の間の駆け引きであって、釣り人だけがあまり優位に立つと、それはフェアプレイとはいえない。その駆け引きのレギュレーションをどのあたりに設定するかで、ゲームとしての面白味が生まれるか、情け容赦のない殺戮になるかが分かれる。 私は、古臭い釣り師で、ハイテクに頼るつもりは毛頭ない。釣り師が、生来もっている動物としての能力を駆使し、簡素な道具を用いて、フェアプレイで魚と闘いたいとおもう。 漁業用に開発されたハイテク機器が、遊魚にもつぎつぎに導入されると、釣りが簡単に魚を絶滅させてしまうような事態になるのではないかと私は心配している。 |