雑誌「Fishing Cafe」に私と阿部幹雄の対談が掲載されたあと、CS放送「釣りビジョン」から番組出演の依頼があったのは、4月半ばごろだった。実はその頃忙しかったので、なかなか出演の決断ができなかった。それでも、1時間番組で幻の魚イトウと、イトウを追いつづける釣り師・写真家のコンビを描き、フィッシングを愛するすべての人々に捧げる作品にしたいと担当者はいうので、最終的にはやろうと思った。
釣りのTV番組は、釣れないで終わったり、期待はずれだったりすることがけっこう多い。そんなとき釣り師は苦し紛れに、天気のせいにしたり、自然環境悪化のせいにしたり、ストーリーを釣り哲学の世界にもちこんだりする。しかしフィッシングは本来、釣ってなんぼの世界である。釣り師たるものよけいないい訳はしないで、TVカメラの前でひたすら魚を釣り上げて見せなければならない。北海道の原始の川を舞台に、TVカメラの前で幻の魚イトウをつぎつぎと釣り上げてみせる。私はひそかに燃えていた。
武笠プロデューサーがロケハンのため稚内に来たので、週末の釣りに同行した。その日は55cmを頭にイトウ3匹がヒットした。原始の川を歩いて、彼は私の釣りのやり方を理解したようだが、足場の悪い川中でさてどうやって撮影するかという課題がうまれた。撮影チームの5人がやってきたのは、6月末になってからであった。早朝5時半、わが家に撮影チームの白いバンが着いた。私と阿部と撮影隊の車の3台が連なって、川に向かった。川釣りにしては、大キャラバンである。大曲と名づけた深場からスタートした。総勢6人が川のなかに立ちこんで釣りあがる。こんなにたくさんの人が遡行するとイトウが警戒するなあと、不安が脳裏をよぎった。案の定、全く魚が出ないままコースの終点である泥壁に着いてしまった。まずは黒星発進である。
「こんなことは、星の数ほど経験した」
自らを慰めてみるが、やっぱりTVカメラを前に、緊張して本来の自分を見失い、それが釣技にも微妙に影響しているのかもしれない。
第二ラウンドでは、下の下のヨシ原と名づけたコースをたどった。例年なら90cm級の大物も期待できる大場所なのだが、今年に限って全く音沙汰がないのだ。それでも軽い引きで、ようやく40cmの中学生イトウが食いついてくれた。正直いってほっと安堵した。川にイトウがいたからだ。しばらく釣りあがると、イトウが常駐する場所にたどりついた。
「来るぞ、来るぞ」と構えていたら、やっぱりヒットした。えらく元気のいいイトウで、下流に向かって疾走した。左岸沿いにいた阿部の姿に驚いたのか、90度進路を変え、右岸沿いのカメラマンやディレクターの列のなかに突っ込み、アッという間に針を外して逃げていった。70cm級のバラシである。
「うーん、なけなしのイトウだったのに」
釣り師は平静をよそおいながらも、実はかなり落ち込んだ。気をとりなおして、遡行をつづけた。やがて終了点の大曲が近づいてきた。これは駄目かなとおもいながら、大曲の淵に向かって最後の一投をくれた。ルアーは大きな弧を引いて飛び、スポンと水中に吸い込まれた。
「来い来い、イトウよ来い」
祈りながらリールを巻いて、ルアーを右岸ぞいに泳がせた。そこには泥炭地特有の剥き出しの土壁と、それにつづく水面下のえぐれがある。68cmの良型イトウがそこに潜んでいた。
「よっしゃー」
釣り師は大音声でヒットを告げた。スタッフのみなが待ちに待った雄叫びだ。竿は小気味よく曲がり、魚は右とおもえば左に水面下を走り、ザンブと水飛沫をあげてまわった。しかしいかんせん68cmである。釣り師の相手としてはやや不足である。イトウは初期の大暴れに疲れはて、パワーを失い、なんということもなく釣り師の意のままにあやつられ、水際に引きずりだされた。私はいつものように魚を股下にはさみこみ、動きを封じて、口に掛かったフックをプライアで外した。すぐ右ひざを使って、魚の跳ねをブロックし、メジャーで体長を測定した。あとは、撮影に供すればいい。阿部を含めて4人ものカメラマンがスチールカメラやVTRカメラを向けるのだから、釣り師は冥利につきるというものだ。こうして、撮影初日にしてそこそこの魚の姿がテレビに映った。
「まあ、これは最低限のイトウですよ。明日はちゃんとした魚をお見せするから」
実績があれば大口も叩ける。勝てば官軍である。
二日目はとっておきの釣りコースに自信をもって撮影隊を案内した。一週間前に72cmと82cmが連発で来た釣り場がある。魚が出ないことなんか考えられないと鷹をくくっていた。エゾシカの現れるヨシ原を歩いて、川に到達した。撮影隊の山内カメラマン、武笠プロデューサーはともに190cmを超える長身である。彼らと歩いていると、180cmの私もそれに近い阿部も子供みたいに小さい。ヨシ原を連なって歩くと、190cm級のふたりの顔は見えるが、私と阿部は隠れてしまうのだ。川のコンディションは、水位、透明度、色合い、水温など悪くはなかった。しかし、どうしたことかまったく魚信がないまま終了点に着いてしまった。釣り師は面目まるつぶれである。こんなことは、ひとりで竿をふっているときにはよくあることで気にならない。しかし、どうしても魚を出してみせると豪語したあとの撮影では、かなりこたえる。
「そうだ、困ったときの湿原橋だ」
昼飯をとりながら、湿原橋をふと思いついた。
今まで阿部との撮影釣行で、魚が釣れず苦戦すると、湿原橋の上流を釣りあがったものだ。ここは川が増水し、濁っていたりしても不思議に魚がヒットするお助けルートなのだ。午後はここを釣りあがった。まもなく木々が両岸から被ってトンネルを作っている地点で、48cmがかぶりついた。あまり自慢できるサイズではないが、イトウはイトウである。なかなか精悍な面構えの、美しい魚であった。水上からと、CCD水中カメラを用いた撮影が行われ、撮影成果の絵はできた。
「実はあの魚が釣れたころ、僕は眠くて眠くてしようがなかったんですよ。川に立ったまま 寝そうだった」
阿部が後に振り返った。
「ところが、刈り分けが近づいてくると、妙に頭がシャキッとしてきた。なにかの予感があ ったんだと思う」
刈り分けはこのルートの終点の大場所である。
「阿部さん、VTRテープの残量が少ないのですが、テープを替えたほうがいいでしょうか」
山内カメラマンが聞いた。
「前方の淵は、いつも大物が飛び出す屈指のポイントです。すこしでも心配なら、テープを 新品に替えたほうがいい」
阿部が答えた。
刈り分けは、左岸側が緩やかなカーブを描いた淵で、河畔のヤナギが毎年二三本ずつ根をえぐられて川に倒れこむ。深い淵に倒木が折り重なり、格好の魚つき場となる。私はいつもと違って、左岸寄りの深みをたどっていった。撮影隊は右岸よりの砂洲を移動しながら、カメラを回した。胸まで水に浸かって、川の流下するラインにゆっくりとルアーを引いたところ、突然、ビューンとリールが逆転しはじめた。糸切れを防ぐドラグ機構が止まらない。おそらく魚がヒットした瞬間にすごいスピードで走りはじめたのだ。
「いったい相手はどんなやつなのか」
私は一瞬たじろいだが、本能的に右手は竿をあおり、左手はリールを巻き上げ、水中の足は速力を上げて魚を追いかけていた。魚は川面に顔を出している倒木の下をくぐって上流へ疾走した。気がつくと、15mも上流の水面に魚の尾びれが揺れていた。
「スレですよ!」
阿部がシャッターを切りながら叫んでいる。それでこの魚の尋常でないパワーを理解した。ルアーのフックが魚の口ではなく皮膚に突き刺さっている場合、魚は思いがけないほどの力を発揮するのだ。それにしても相手は小魚ではない。フックを外されないように魚を水際に誘導するのは、至難の業だろうと覚悟した。私は急いで魚に追いついて、ラインを2mまで巻き取った。見ると魚の右側腹部尾びれのつけねにフックの1本だけが食い込んでいた。よくフックが外れたり、伸ばされたりしなかったものだ。イトウはヒット直後に力を使い果したのか、もう抵抗することがなく、釣り師の意のままに水際に横たわった。81cmのやや細身のイトウは釣り師の手に落ちた。
「面白い写真が撮れました。いつもは、釣り師が浅いほうにいて、魚は水面下で見えないのに、このヒットシーンでは、魚が目の前の浅場で暴れ、釣り師が後方の深みで必死に持ちこたえているんです。いままでにない写真です」
阿部が満足そうに説明した。
テレビ撮影チームが喜んだのはいうまでもない。阿部の助言でVTRテープを新品に取り替えておいた山内カメラマンは残量を心配することなく、存分にヒットシーンからリリースまでカメラを回し続けることができた。結局、この81cmが番組のメインの魚となった。テレビの釣り番組はCMも含めて60分だが、釣りの映像はその半分もあればいい。風景や、登場人物の紹介と対話など釣り以外のシーンが残りを埋める。阿部は珍しい中流でのカヌー行や源流の稚魚を紹介した。イトウの会の面々はそろって夕焼けのラストシーンで竿をふった。
私はスタッフにイトウ5匹の釣りと、1匹のバラシの映像を提供した。
「もう実釣シーンは十分撮らせてもらいました。これでいい番組ができます」
朝比奈ディレクターが帽子を脱いで、満面の笑みをたたえながら言った。
「実釣(じっちょう)」とは業界用語である。「実釣」を無事に済ませた釣り師と写真家は、この言葉のニュアンスをかみしめながら、満足して川をあとにした。