49話  費用と時間


 野生魚の釣りには費用と時間がかかる。イトウは希少種であり、生息場所が限られているから、都会人がイトウを釣ろうとおもえば、当然ながら相応の努力が要る。時間はある程度は費用で短縮できるが、一定の金額は絶対にかかる。イトウはコスト・パフォーマンスのはなはだわるい釣魚なのである。

 一度都会に住む釣り人にイトウを宗谷で釣る場合、どれほどの費用と時間がかかるか算出してもらうとおもしろい。もちろん釣り人の経験や釣技の問題もある。案内人の有無も大いに影響する。しかし、釣り道具代、往復の車の燃料費、宿泊費(たいていは車の中だろうが)と食事代はセットで誰にもかかる。

私は稚内という地元に住んでいる。イトウ釣りは日帰りでやっているので宿泊費は不要だ。釣り道具は、すべて所有しているが、ルアーやラインといった消耗品には一日平均2千円くらいかかる。昼食などの食費は一日千円くらい要る。車の燃料費は、一日200q走るとして2千円である。写真代は一眼レフデジカメなのでふだんは費用ゼロである。〆て一日のイトウ釣りに5千円がかかる。釣果がイトウ1匹であれば、釣魚イトウ1匹のコストは5千円となる。5匹釣ると11000円となる。おそらくこれは、イトウにしては格段に安値だろう。

コスト・パフォーマンスが最もかさむのは、初めてイトウを釣るときであろう。なにしろ「幻の魚」イトウを釣るのだから、闇の中を手探りで行くようなもので、費用も時間もどれくらい要するか全然わからない。ロッドやリールは、ニジマス対応よりはワンランク丈夫な道具をそろえる必要がある。まったく独りで前知識もなく宗谷まで車を飛ばしてやってきても、おそらく1匹の釣果も得られないだろうから、費用割るゼロでコスト・パフォーマンスは無限大となる。

何度かやって来て、ようやく1匹の釣果を得て、それがはじめての具体的な金額となる。1匹のイトウの金額がおそらく10万円を超えることになるだろう。

一回の釣行で複数のイトウを釣ることができるようになると、コストはどんどん安くなっていくはずだが、じつは費用はどんどんかさむのである。

例えば釣りのタックルにしても、消耗品のルアーは安くはない。じつは一個500円くらいのスプーンでも十分に釣れるのであるが、近くで釣っている人が、2000円を超えるような高価なプラグでイトウを釣り上げたりすると、どうしてもそのプラグが欲しくなる。ようやくそれを手に入れると、なんと一投目のキャストで根がかりし、あえなく回収不能となることも珍しくない。私の長年の経験では、イトウを何匹も釣るような黄金の日には、ルアーはほとんど失わない。逆にまったく釣れない日に、10個を超えるルアーを取られてしまうことだってある。竿はいつかは折れるし、リールはかならず回らなくなる。

イトウ釣りにのめりこんでいくと、いきおい大物狙いとなり、より高性能高価な道具が欲しくなる。釣果を記録に残すカメラも高級なものに触手がのびる。こうして一人前のイトウ釣り師になるころには、100万円単位の金がドカンドカンとかかってくるのだ。決して安い趣味ではない。

私も上記のような道をたどってきた。釣ったイトウを持ち帰ることはないのだから、食料にもならない。週末の家族サービスはなくなるから、家族には別途に遊興費がかかるが、これは罪滅ぼしというわけで削れない。

つぎは時間の問題である。私のような地元組は時間では圧倒的に優位である。チライさんのように、旭川から日帰りで宗谷までイトウ釣りに来る剛の者は別として、ふつうは最低一泊二日でくる。たいがい往復は車の運転があるから、釣りそのものにかける時間プラス移動時間が必要である。私の場合など、宗谷のどこで納竿しても、1時間半後には帰宅しているから、疲れは少ない。しかし、都会人の場合、釣りを終えてから帰宅するまでの数時間の運転はそうとうこたえるにちがいない。交通事故などに遭わないようにと祈るばかりである。

本波幸一名人のように一度宗谷に来ると、3週間ほども車で生活し、釣りをつづける人もいる。彼は夜明けから日没までほとんど休むことなく竿をふりつづける。その信念、根気、体力は想像を絶する。過去に22時間も釣り続けたこともあるそうだ。彼は大物を狙っているので、一日に量産釣りをすることはないが、一匹が記録的にでかいので、コストは度外視できるはずだ。

イトウを一匹釣るための費用と時間は、夢の対価としてならいくらかかってもいいのかもしれない。イトウ狙いの釣り師たちにとって、それがあまり安くあがると、かえって拍子抜けしてしまうのかもしれない。