47話  宗谷本線


 冬になると、私は稚内から札幌や旭川をJRで往復する。利用するのが宗谷本線である。そのほとんどがビジネス出張なのであるが、冬は宗谷の川が結氷してイトウ釣りは無理なので、心安らかにでかけることができる。ただ、川筋はJRの車窓からしっかり観察している。これも冬の楽しみのひとつなのだ。

宗谷本線は旭川・稚内間を走る。北島三郎の名曲「風雪ながれ旅」(作詞:星野哲郎 作曲:船村徹)の終着駅は、稚内である。私は稚内が日本の終着駅だとおもっている。

♪破れ単衣に三味線だけば、よされよされと雪が降る

♪泣きの十六短い指に、息を吹きかけ越えてきた

♪アイヤー、アイヤー

津軽三味線の高橋竹山をモデルとする幼い旅芸人は、宗谷本線に乗って稚内へと流れてきたのか。そのころは特急などなく、鈍行列車で北の街にやってきたのか、あるいは貧しくて鉄道などに乗る余裕はなかったのかもしれない。「♪留萌、滝川、稚内」で終わる「風雪ながれ旅」の熱唱を聴くたびに、私は冬の天塩川に熱い想いをはせる。

私は旭川から宗谷本線の下り線に乗車すると、できるかぎり進行方向左側に座る。塩狩峠を越えて天塩川の流域に下りると、もう窓に顔をくっつけて車窓の風景に釘付けとなる。士別でまとまった数の乗客がおりると、間もなく列車は幅の広い川を渡る。これが天塩川なのだが、こんな上流には大河の風格はまだない。しかし名寄で名寄川が合流すると、天塩川はいかにも日本有数の大河らしく、ゆったりと森のなかを流れはじめる。水鳥が冬のオアシスとなる開水面に浮かんでいる。川岸の雪原には無数のけものの足跡が刻まれている。晴れて寒い日には、川霧があたりを包み、河畔の木々に氷が張り付いた霧氷が見られることもある。

冬の時期、宗谷本線では「線路上に鹿が出没いたします。やむなく急ブレーキを使用することがありますので、お気をつけください」といった車掌のアナウンスが入る。それは脅かしでもなんでもなく、列車はよく線路に立ち入った鹿をはね飛ばすのだ。そんな時は、列車はストップし、運転手と車掌が手分けして、鹿が線路の上に倒れていないか点検するのである。

宗谷本線はじつに自然度の高いところを走っているのだとつくづく実感する。

音威子府を過ぎて、天塩川の峡谷にさしかかる。列車は川の右岸を並走する。左岸には国道40号線の車のヘッドランプが見える。川は右に左に屈曲をくりかえし、見事な淵や瀬を見せてくれる。

私の大好きな風景がふたつある。ひとつは、筬島(おさしま)の大屈曲である。列車から見ると、天塩川は右岸に小さな島を作って豪快に直角に曲がる。この屈曲部の左岸には幕末から明治の探検家・松浦武四郎が、蝦夷地を北海道と命名した記念碑が建っている。これほど歴史的な場所なのに、四季を通じてあまり人がいない。もうひとつは、問寒別川が天塩川に合流する場所で、分厚く凍った二つの川がここで合わさり大雪原を作る。いかにも道北らしい胸のすくような冬景色である。どちらもあっという間に通過してしまうので、カメラで撮影している暇はあまりない。じっと網膜に焼き付けるのがよい。

列車は幌延あたりで天塩川から離れ、いよいよ宗谷の原野に突入する。ここは私のホームグラウンドである。この地域であれば、深夜に通ってもどこにいるかが分かる。どこにどの川が流れているかも分かる。やがて列車は、豊富の駅で幾人かの乗客をおろし、サロベツ原野を縦断して、日本海の荒波を俯瞰したあと稚内の街にはいる。

宗谷本線の乗客は、南稚内駅でその大半が下車するので、終着駅の稚内まで乗る客は少ない。列車が稚内に止まりプラットホームに降り立つと、なぜかたいてい吹雪いている。乗客は顔をしかめ、背を丸め、黙って改札口へと急ぐ。演歌「風雪ながれ旅」にふさわしい情景である。

宗谷に釣りに来る人びとは、ほとんど車でやってくる。足がないと数多い釣り場を渡り歩くことができないからだ。しかしいちど宗谷本線に乗って、車窓から川を眺めることをお勧めする。きっと釣りに有益なさまざまな発見をするだろうから。