第42話 釣り雑誌 |
現代日本は釣りブームなのか、書店をのぞくとさまざまなジャンルの釣り雑誌がならんでいる。私は淡水魚釣りをやっているので、海釣り誌は最初からパスするが、それにしても淡水魚誌もかなり多い。雑誌にも栄枯盛衰があって、新刊が発行されるいっぽうで、廃刊の憂き目にあう雑誌もたくさんある。特色を出せない釣り雑誌の寿命は短い。 私は「北海道のつり」「FlyFisher」「North Angler’s」「Fishing Cafe」「Angling Fan」の5誌には各号とも目を通している。それぞれジャンルが異なるが、各誌ともおもしろい。 「北海道のつり」はむかし投稿したこともあり、なつかしい地元誌である。書いているひとびとが、ほとんどは素人の釣りファンなので、ローカル色豊かなほのぼのとした雰囲気が漂っている。もうすこし淡水魚釣りのページが欲しいが、総花式の誌面構成ならばしかたがないだろう。中里哲夫氏の釣り本書評「釣り師の本棚」はすばらしい。 「FlyFisher」は大判の美しい写真が好きで、購読している。私はフライフィッシングはやらないので、技術論やフライタイイングに関連する記事は読まないが、外国の壮大な釣り風景写真にはこころが洗われるおもいがする。むかし阿部幹雄が「イトウ物語」と題して連載物を書いていた。そこに主役で登場するイトウに名付けられたムイネシリとは、札幌近郊の無意根山のことで、阿部も私も100回以上登ったホームグラウンドである。 「North Angler’s」は私のフィッシングスタイルに近い記事が多く、参考になる。つり人社は、日本国内のイトウ釣りは掲載しない方針を貫いているので、イトウ釣りの記事はほとんどない。シングルフックの啓蒙活動も熱心である。 「Fishing Cafe」はシマノのコマーシャル誌である。しかし内容は格調が高く、写真もきれいで品格がちがう。同誌は私にはたいそう優しくて、阿部幹雄との共著「イトウ 北の川に大魚を追う」と「幻の野生 イトウ走る」を好意的な書評で取り上げてくれたうえに、阿部と私へのインタビューを巻頭で載せてくれたこともある。私が敬愛する矢口高雄先生、草島清作名人も特集に登場した。 「Angling Fan」は、日本最初のスポーツフィッシング誌「Angling」のころから、全巻保有している。「Angling」は夢と希望を与える貴重な釣り雑誌だった。「Angling Fan」に変わって、管理釣り場主体の雑誌になってしまったが、ロッド、リールやルアーの機種とメカに詳しいので参考にしている。私は野生魚を愛していて、管理釣り場には興味はないが、本州のルアーファンは、ブラックバスに走るか管理釣り場のサケマスに走るかしか身近な釣りはできないようで、まことに気の毒である。「Angling Fan」を読むたびに、「おれは幸せな釣り師だ」と確信する。 むかしあまり魚が釣れなかったころは、釣り雑誌のグラビアをかざる巨大魚やそれをかかえる釣り人の会心の笑顔は、自分には無縁の世界だと思っていた。しかしいまはそうは思わない。世界中のどんなサケマスと比べても、宗谷のイトウは遜色ない。同等かそれ以上に大きく、美しい。2005年に本波幸一名人が釣った111p、15.1kgのイトウをまじかに見たが、本当にたまげた。こんなモンスターが悠然と泳いでいる宗谷の川の底力にあらためて敬意を抱いた。 いっぽうでは都会に住み、釣り雑誌の巨大魚にあこがれ、年に一回か二回北海道のフィールドにでたものの、夢と現実の落差を思い知らされた釣り人も多いことだろう。 ある雑誌の編集者から聞いたが、北海道特集をやると購読者が増えるそうだ。だから、本州発の釣り雑誌は、北海道の川の情報が欲しい。最近の釣り雑誌が北海道の川の実名を露わにして、無責任に遠来の釣り客を集め、川を荒廃させる現実を私は憂いている。漁協が入漁料をとって渓流魚を放し、川釣りを管理する本州と、ほとんどの川は自然産卵に頼る北海道とは、雑誌の扱い方も変えてもらいたい。そういうモラルを、釣り雑誌の編集者に期待したい。 これだけインターネットが普及し、メールが飛び交う現代では、アップデートな情報に関してなら、釣り雑誌はインターネットにとてもかなわない。釣り雑誌は、ちょこまかした情報ではなく、釣り人に夢と希望を提供するような壮大な話題や写真で勝負してもらいたいとおもう。 |