41話  ヒグマ


 北海道の陸の王者はヒグマである。イトウ釣りのため森や湿原の奥地に進入するときに、脳裏をかすめるのはヒグマの存在である。

 私は宗谷で17年間イトウ釣りをし、かなりの深山や湿原を踏査してきたが、いまだにヒグマにばったり出くわした経験がない。しかしイトウの産卵観察のため源流部に向かうと、残雪にヒグマの足跡がベッタリと残っているのは、日常茶飯事である。また、面と向かい合ったわけではないのに、ヒグマの存在を強く感じることもたびたびあった。おそらくすぐ近くにいたのに、ヒグマのほうで立ち去ったのであろう。

私は学生時代に日高山脈を登山中、度まじかでヒグマに遭遇した。一度目は、幌尻岳の七つ沼カールでテントを張っていたときである。ヒトより一回りくらい大きなヒグマが夜半に出た。一晩中テントのまわりをぐるぐる回って、時おり張り綱を大きく揺らした。登山のメンバーは、もちろん寝るどころではなく、大声をだしたり、ラジオを鳴らしたりして、夜が明けるのを待った。夏用のテントのすそをちょっとはぐって外をのぞくと、50cmほどのところにヒグマの前足があったのを覚えている。朝になると、ヒグマはすでに去ったあとで、それこそ無数の足跡がテントの周りに残っていた。

二度目は、やはり日高山脈のエサオマントッタベツ岳北カールであった。長い行程を歩いてみな疲れていた。食事の支度ができあがって、いざ食べようとしたとき、大きな黒い岩が動くのを見た。それは立派なヒグマだった。リーダーの私が、すぐ食事をやめて、撤収することを命じ、わずか10分くらいで沢を下ってテント場を移した。ヒグマが出現すると、ヒトはどんなに疲労していても、脱兎のごとく退却する余力をもっていることが分かった。

相棒の写真家・阿部幹雄はおもに知床でヒグマの取材をつづけている。彼はいつも冷静だが、カラフトマスを追いかけるヒグマを水中ビデオカメラで撮影して、1mくらいまで接近したことがあるそうだ。日常にヒグマに近いところで仕事をしていると、衣服にヒグマの体臭が乗り移って消えないという。

「宗谷のヒグマは大丈夫ですよ。向こうから逃げます」

彼がそう言うのなら、確かだろう。しかし、どうして大丈夫なのだろうか。

むかし猿払の林道わきに養蜂業者が設置した蜂箱がヒグマに荒らされたことがあった。怒った養蜂業者がヒグマのオリを仕掛け、そこに200kgくらいのが入った。阿部はさっそく取材にでかけ、オリに入ってうなっているヒグマを撮影し、「FlyFisher」誌の「イトウ物語」に掲載したことがある。その爪はさすがに迫力があった。私がいつも竿をふっている川から、直線距離でわずか200mの蜂箱だったので、さすがにその後しばらくはそこへ釣りには行かなかった。

私はわりにヒグマには無頓着に単独で森に入る。だがまったく無防備というわけではない。チャリンチャリンと鳴る熊鈴はいつも持っているし、いざというときには、スプレーをぶっかける準備もしている。スプレーの射程距離は2mくらいだから、発射したとほぼ同時に襲われるかもしれない。武器がないよりはよほど心強いが。

スプレーをヒグマに浴びせたことはないが、自分が誤射でスプレーをかぶったことはある。右腰のホルスターに収めたスプレーが、バタンと閉じた車のドアの衝撃でブシューと発射されたのだ。幸い直撃ではなかったが、顔をかすめて黄色い物体が車内に飛び散った。呼吸困難、咳、眼の痛み、異臭でしばらくものも言えなかった。ヒトがスプレーの直撃を受けたら、まず失神するにちがいない。そう思えば、ヒグマと遭遇したとき、自分に発射していち早く失神したほうがいいかもしれない。ヒグマはそんな唐辛子臭い獲物は食べないだろうから。

宗谷には川の王者イトウ・空の王者オオワシ・陸の王者ヒグマが生息する。日本でこんな豊かな生態系は他地域にはあるまい。そういった自然のなかに入るとき、私は張りつめた緊張と同時にたとえようのない幸せを感じる。