2002年9月14日のことである。私はその日、まるでイトウの神さまが乗り移ったかのように1匹のバラシもなくイトウを釣りつづけた。68cmからはじまって、39cm、78cm、50cm、40cm、40cm、37cmと7匹がきたあと、いよいよその日最大の大場所である三本バラシに差しかかった 三本バラシの水位は私の背が立たないが、それでも下流側から接近すれば、核心部の淵に楽々ルアーが届く。そこに居るはずの大物は、もし掛かったらもっと下流の浅瀬に引きずりおろせばいいのだ。このあたりの川底地形を知り尽くしている釣り師にとってそんなに難しいことではない。
「さあ、幻の巨大魚よ、来てみろ」
そうつぶやいて、自信をもって第一投をくれた。ルアーはまるでそれ自体が目的をもった生き物のように20m上流の右岸沿いの深みに向かって飛び、絶好のポイントにストンと着水した。すこし待って、ルアーを沈めてから、ゆっくりと引きはじめた。イトウの当たりに瞬発力を感じることはすくない。このときもそうだった。リールの巻きがズッシリ重くなったという感じだった。そんな時はとりあえず一発あわせをくれておく。ルアーのフックをがっちり食い込ませるためだ。針に掛かった魚は怒り狂ったようで、暴れはじめた。水面がモワーッと軽く膨らんで、水流が複雑に乱れた。水面下では魚が激しく頭を振り、格闘しているのだ。
「相手は大物に違いない」
長いイトウとの経験がそう告げる。釣り師の珠玉の時間が始まったのだ。
私は下流へ向かって後ずさりしながら、全速でリールを巻いた。早く竿先2〜3mまでラインを巻き取っておくのだ。そうしておけば、魚にややこしいところへ潜られないで済む。魚をコントロールできる。こちら十分の相撲に持ち込めるのだ。リールのドラグ機構の性能がここで如実に表れる。いいリールか悪いリールかは、釣魚が小さいと判断できない。逆回転のなめらかさなんて小魚には不要なのであり、大魚がかかってはじめてリールの真価が発揮されうるのだ。
あきらかに大物とわかる水面下の魚は、ジリジリとリールを逆回転させはじめた。川幅は10mしかなく、岸辺にはヤナギの林が浸水しているのだから、そんなところへ魚に潜りこまれるとまずい。だから、釣り師は必死でリールを巻いてフリーのラインを短く保とうとする。巻いたしりから逆回転が作動して、ラインが出て行く。そんなやり取りがしばらくつづいた。
「そういえば、あのときもこんな具合だった。あのときは、ドラグ機構を締めすぎて魚との力くらべとなり、ラインを切られてしまったなぁ」
6月に阿部のカメラの前で大バラシをしたことを思い出しながら、リールを操る手はきちんと正しく反応していた。それが辛酸をなめつくした熟達の技というものだ。私はウェーダーの上から川水が浸入することも忘れて、深みでのイトウとの闘いに集中していた。メーターに及ぶかという体長の巨大魚と闘っているのだ。冷たいなどといっていられるものか。5分もたつと魚が泳ぐ深度がすこしずつ浅くなってきた。魚は疲れてきたのだ。釣り師を中心とした半径3m以内で魚影が見え隠れしはじめると、釣り師の心臓は否が応でも高鳴る。
「こいつはデカイぞ」
水面下に垣間見た黒く太い物体は、釣り師も経験がないほどのボリュームだった。間違いなく私が相手をしたイトウではトップクラスの大物だ。
「くそっ!阿部がいてくれたら」
私はいま中国の高山へ登っている写真家がいないことを悔しがった。初めてのメーターオーバーの巨大魚は、阿部の前で釣ることが以前からの決め事だ。しかし、彼はいま別の国にいる。こうなったら、この巨大イトウのファイト写真も自分で撮るしかない。私はイトウの動きを読みながら、ゆっくりと肩にかけた防水袋からニコンを取り出した。その間、竿は右脇にはさんでおく。カメラを右手で持つと、空いた左手で竿を持つ。イトウは、もはや激しい動きはしない。そこで、私はオートフォーカスで撮影をはじめた。
「なんと大きな頭なのだろう」
まずそのいかつい角張った頭に仰天した。パクッと開いた口は釣り師の握りこぶしがスッポリ入る大きさだ。
「なんと黒点が多いのだろう」
魚の頭部から背中にかけて黒い斑点が埋めつくしているようにも見える。私はもはや釣り師の意のままに操れる巨大魚を引きずりながら、慎重にすこしずつ下流の浅瀬にさがっていった。右岸にずりあげには格好の砂浜があることを確認していたからだ。あそこにずりあげれば私の勝ちだ。
「ついにおれもメーターオーバーをキャッチできる」
13年ごしの希望がかないそうなのだ。慎重のうえにも慎重に対処し、無事にランディングさせなければならない。イトウはもうラインを引っ張って水中に突進する体力がなかった。しかしまだ腹を見せてはいない。最後に火事場の馬鹿力を出すかもしれない。
「あといち二度、空気を吸わせて、戦意を喪失させよう」
私は竿を持ち上げ、頭部を水上に保持しようとした。そのときだ。イトウの顎にガッチリ刺さっていたはずのルアーのフックが不意にスポッと抜けてしまった。
「なに!」
釣り師は仰天した。イトウも急に拘束から解放されてびっくりした。両者ともなにが起きたのか一瞬理解できなかった。我に帰った私は、いきなり竿を捨てて、浅瀬に浮かぶ巨大魚に覆いかぶさろうとした。しかし、わずかコンマ1秒の差で、イトウは反転し、ダッシュして視界から消えた。
「なんということか。土俵の特俵まで追い込んで、最後の最後にうっちゃりを食らった力士のようなものだ」
私は呆然として、その場に立ち尽くすしかなかった。あとで現像できあがったファイトシーンの写真を詳細に検討した。ヤマメカラーのルアーの腹のフックが、イトウの下顎に食い込んでいた。あの場合、イトウの前方に引くべきであって、上方に引くとフックを外す方向に力が働くことが分った。釣りながらそこまで観察はできなかった。釣り師としては、まだまだ未熟であった。
一週間ほどのち、中国にいる阿部が北京の公衆電話から掛けてきた。
「まさかぼくが山にいる間に、メーター級を釣ったわけではないでしょうね」
「来た。でかかった。メーターは超えていたようだ。ばっちり写真も撮った。それなのにバラシた」
阿部は笑って言った。
「それは残念でした。やっぱり写真家が側にいないと、メーターは上げられない運命なんですよ」