第39話 ツーショット |
釣り雑誌でおなじみの本波幸一名人が宗谷に来ると、週末いっしょに竿をふることにしている。釣りにかぎらずなんでもそうだろうが、自分より経験や技量がワンランク上の人といっしょにやると、非常に勉強になるし、意欲も湧く。しかも彼と川岸に立って、一日竿をふっていると、じつに楽しい。その間は、50m以上離れてあまり会話を交わすこともないのに。 本波名人は、すでに宗谷のイトウ釣りには20年の経験がある。地元に住む私よりも長い。大川の大物釣りも蛇行する小河川のヤブこぎ釣りも十分経験して、興味深いエピソードを語ってくれる。 「枝川にイトウが30本も首をつっこんでじっとしているんです」 「あの川は蛇行がものすごく、7時間かけて釣りあがって、林道にでると15分で帰れるのです」 「川岸が泥壁で、そこにヒグマの爪のあとがたくさん残っています」 そういった仰天する話を、東北人らしくとつとつとした南部の抑揚でしゃべってくれる。 2004年11月初旬の土曜日も本波名人と私は大川の岸辺に50m離れて立ち、朝から夕暮れどきまで竿をふった。われわれの間には、写真家の阿部幹雄がいて、「はやくどちらかが釣ってくれないかな」と思いながら、うろうろとふたりの間を往復していた。風が無くなり、川面の波が消えた。まず釣ったのは意外に私のほうだった。本波名人は、竿を置いて、わざわざ見にきてくれた。 「銀ピカですね。降海している個体です」 「本波さんも早く釣ってください。そうしたらツーショット写真を阿部に撮ってもらいましょう」 私は75pのイトウを入れておくイケスを砂礫で作って、本波名人の魚を待った。ちょっと時間がかかったが、彼は70pをヒットさせ、川中に魚をひきずってやってきた。かくして、阿部のカメラの前で、ふたりの釣り師がにこやかにイトウを抱き、ツーショット写真に収まった。 「こんなシーンはめったに撮れないよ」 阿部にいって、二匹同時にリリースする場面を水中カメラで撮影してもらった。翌日も朝から竿をふった。 「こんどはメーター級のイトウを抱いてツーショットにしましょう」 その日は寒冷前線が宗谷を横切るあいにくの天気でときおり氷雨が降り、北西風が強く、川面は波立ってうねっていた。キャスティングを繰り返す手指が冷たい。風上には顔を向けたくない。 「これが初冬のイトウ釣りの醍醐味ですね」 本波名人は楽しそうである。いつものようにここぞという場所を決めると、そこからテコでも動かない。一投一投おなじ動作で、ひたむきに竿をふりリールを巻きつづける。しかし本波名人にも私にもヒットはなかった。放っておくと、彼はいつまでも休みそうもないので、私から声をかけて、コーヒーブレークにした。 「こういう日は、釣れそうもないけれど、ずーっとやっていると、そのうちにドカンと来ますよ」 本波名人は熱いコーヒーをすすりながら言った。 その日は、彼は日没近くまでひらすら竿をふりつづけた。一度だけコツンと当たりらしきものがあったそうだ。となりで辛抱しつづけた私にははっきりとしたヒットがあったが、「来たあ」と叫んだ直後にばらした。したがってふたりとも釣果ゼロで終わった。 寒風のなかでルアーをキャストしつづけた右腕と肩は凝っていたが、獲物がないのにじつに満ち足りた気分だった。耐寒性と持久力に優れた「南部の寒立馬(かんだちめ)」ともいえる本波幸一名人とおなじ時間をおなじ釣りで過ごすことができたからだ。冬将軍の足音がもうすぐそこに迫っていた。いつ冬景色になるかわからない。釣りを楽しむ時間はもうあまりない。しかし川には越冬を控えて荒食いをする肥った巨大イトウが往来している。 「いちどうちへ帰って、週末にはまたここへ戻ってきます」 「それじゃあ、週末にまたいっしょにここでやりましょう」 われわれは、まだメーターオーバーを抱いたツーショットをあきらめてはいなかった。
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