37話  京都鴨川


 私の生まれ故郷は京都である。記憶はさだかではないが、私が父親に連れられてはじめて釣りをしたのが、鴨川であった。そのころは、まだ友禅染めの布を鴨川で洗っていたので、染料が川に流れ、河川環境は非常に悪かった。鴨川といっても、鴨など見たことはなかった。釣りをしたのは、おそらく水のきれいな上流だったにちがいない。ハヤ、ゴリがおもな釣魚だった。

 私は19歳から北海道に移り住んだので、その後の鴨川の変遷は知らない。しかし、あるとき帰省して、鴨川がずいぶんきれいな川になり、その名のとおり鴨が泳いでいることを知って驚いた。最近は川の環境を見直す動きがあり、かつてはさんざん荒れはてたどぶ川を整備したおかげで、自然が復活しつつある例も報道されている。都会の真ん中を流れる川が、両岸と川床をコンクリートで固めた「三面張り」改修をほどこされることは、むかしはあたりまえであった。おまけに魚道なしの落差工が、あちこちにあり、そうとう跳躍力のある魚しか遡上できないのが都会の川であった。そんな鴨川が都会のオアシスに変貌していた。魚があちこちでライズし、それを狙うシラサギなどの野鳥が水辺に舞い降り、風景を楽しむひと、散歩やジョギングをするひと、絵を描いたり、釣りをしたりするひとたちでずいぶんにぎわっていたのだ。

京都には、環境を破壊する野放図な土木工事などを許さない監視人がたくさん住んでいる。いったん自然を呼び戻すことがきまると、その作業は一気にすすむ。「さすが歴史と文化の都・京都。上手に環境保全がなされている」と感服した。いま夕暮れどきに鴨川の流れをじっくり見ると、じつに大きなライズリングがあちこちで広がる。北山大橋の下流には、川を水面すれすれで渡るひとのために、コンクリートの置石が並べられている。その上から見ると、50pもあろうかという大きな魚が、群れをつくってゆうゆうと浅い平瀬を回遊している。それはおそらくコイであろう。水深わずか50pの川に立ちこんで、少年ふたりが、ルアー釣りをしていた。水面直下を泳ぐルアーを投げていたようだが、残念ながらコイはヒットしなかった。

「彼らに宗谷の原始の川でイトウを釣らせてやったら、喜ぶだろうな」とおもった。

初秋のころ、鴨川の近くにある実家で3日間を過ごした。毎日、朝にはランニングで北山大橋から出町柳を往復した。日中は、父親が入院している病院に通っては、北大路の飯屋で昼食を食べた。まだ気温は30℃ほどに上昇し、北国にすっかり慣れてしまった身体には暑さがこたえた。しかし、夕方に鴨川のほとりを歩くと、不思議なことに体のほてりも、心のあわただしさもスーッとおさまるのであった。川に癒されるのがよくわかった。

鴨川を横切る京都北山通りの釣具屋をのぞいてみた。海のジギング、ブラックバス、コイフナ釣りのタックルなどが品揃え豊富に整然とならんでいたが、地域柄さすがにトラウト釣りの道具は少なかった。あっても管理釣り場用のタックルがほとんどだ。店員に「イトウ釣りをやりたいのだけれど、どんな道具をそろえ、どこで竿をふったらいいのか」と聞いてみようとおもったが、どうせ管理釣り場を紹介されるにちがいないと思ってやめた。

私の住む宗谷には、鴨川のような人工的な川はないが、いっぽう鴨川ほど住民に愛され親しまれにぎわう川もない。子供のころから一貫して釣りをつづけてきた私は、もし京都に暮らしていたなら、鴨川でいまも釣りをしていたことだろう。イトウというとびきり魅力的な淡水魚でなくても、コイでも十分満足していたにちがいない。

都会という人口密集地には、その立地条件として、広い土地があり、そこには大きな川も流れている。東京の江戸川には、160pを超える中国原産のアオウオが生息し、アオウオを専門に狙う釣り人がたくさんいることを、青魚倶楽部の茂木薫さんから教えてもらった。札幌の豊平川には毎年サケが産卵のため遡上してくる。こういった情報を知ると、川の魅力と同時に野生魚の底力を感じる。

京都鴨川は、釣りキチ・高木知敬の原風景である。イトウ釣りのような過酷な釣りができなくなったら、鴨川にもどって釣り糸を垂れることになるかもしれない。