35話  真夏の釣り


 月の最終週から月のお盆にかけて、イトウ釣りにはいちばん過酷な期間が訪れる。川の条件は、天気に左右される。真夏に晴れると水温が25℃にも上昇し、まったく魚は食い気をおこさない。雨が降ると、この時期はなぜか大雨となり、川は増水・茶濁し、流木がぷかぷか浮かんで釣りにはならない。そんな過酷な日々にどうやったらイトウにめぐり合うことができるのだろうか

先日も暑い日であった。まったく釣果のない遡行をやって、すっかり戦闘意欲を失った私は、ふてくされて川の土手道に車を停め、昼寝をむさぼっていた。ふと気がつくと、見慣れた車がバックミラーに映っていた。チライさんである。

 「まだボンズですわ」

 「上流部はまだ濁っていて、釣りにならないよ」

 「潮汐表では、いまから2時間ほど干潮となり、川の流れが速くなります。チャンスです」

 そんな会話をしたあと、ふたりは車を連ねて、さる大川の雄大なポイントに出かけた。表面水温を計ると25.7℃もある。イトウにとっては、登別の湯の浸かっているようなものだろう。

 「川底はもっと水温が低いはずです」

 チライさんは、棒状の水温計をラインの先にしばりつけ、キャストし、しばらく水底に沈めて、回収した。

 「21℃です。食いますよ」

 彼の自信のありそうなひと言に意欲をかきたてられ、真夏の真昼にキャストをはじめた。午後の直射日光がじりじりと真正面から照りつけていた。ただでさえ日焼けしている顔は、これでさらに重ね焼けして、国籍不明になるだろう。チライさんは、シャツを脱いでしまって、タンクトップの上にフィッシングベストを着て、さかんにキャストを繰り返していた。イトウ釣りというより、南洋のボーンフィッシュの釣りの様相だ。

 岸辺には1pにも満たないウグイの稚魚がたくさん群れている。しかし大物イトウのえさにしては小さすぎるようだ。われわれのルアーは、イトウには手ごろな大きさで、泳ぎもわるくない。いかにもおいしそうに見えるのだが、なかなか食いついてはくれない。

 ふたりで3時間にわたってキャストをつづけた。チライさんにかすかな当りが1回あっただけで、私には魚信がまったくなかった。イトウはおそらく川の中央の涼しい深底で居眠りをしていたのだろう。

 またべつの暑い日、私は車で出張から帰ってきて、午後になってから宗谷に到着した。気温は26℃である。内地の人びとには快適な気温でも、北国の感覚では十分暑い。しかし、川が流れ時間もあるのに竿を振らないで帰宅するわけにはいかない。川の上流部にしぼって、イトウを探すことにした。川幅はわずか13mである。夏場は河畔林や草に覆われていて、川岸から竿をふるのは無理だ。釣りをするということは、川のなかに立ち込むということになる。

 「イトウは瀬にいるにちがいない」

 私は、水が音を立てて激しく流れているところばかり探ることにした。水温は23℃台である。ドボンと深い、水が動かないような淵ははじめからパスしていく。

川が両岸の岩盤で1m幅まで狭まって、吐き出された奔流が波打つ場所がある。そのホワイトウオーターの中にプラグ型ルアーを打ち込むと、突然重量が乗って、竿先が引き込まれた。痛快なヒットだ。えぐれの下あたりでじっと餌魚を待っていた63pのイトウはとんだ偽物に怒り狂ったが、すぐに草むらに引きずりあげられ、降参した。

予想通りの瀬にイトウがいることがわかった。今度は自信をもって、新たなポイントに向かった。そこには、ほんの小さな流れが合流している。ここは、上流からルアーを投じて、逆曳きするのがよい。そーっと近づき、いつものポイントにストン落とした。水深50pの平瀬を1mほど曳いてくると、やっぱりザブンと出た。水面に躍り出たイトウが上から食いついたのだ。なにしろ川幅も2mほどしかないので、あちこちに走られると困る。強引に引き寄せて、そのまま猫の額のような陸地にランドした。60pであった。

さらに傾斜のあるボサかぶりの瀬に、上流から流し込むようにルアーを投じ、ずっと曳いてくると、ピックアップの際に飛びついた。63cmだった。イトウに限らないが、ルアーフィッシングのヒットは、着水と同時か、あるいはピックアップ時が約半分である。魚はルアーの予期せぬ動きにびっくりして、とりあえずかぶりつくのだろう。

 夏の暑い日は瀬で避暑を兼ねてえさ待ちをしているイトウを、ピンポイントでヒットさせる。ふだんイトウが好む深くて水流の遅い渕には、この季節にかぎってイトウはいない。いつも夏のことを考慮にいれながら、川通しに釣りをしていると、最悪の釣りシーズンにもご利益を受けることができる。こんなことで喜んでいるのは、私ひとりかもしれないが。