341話 初イトウ

 

 2024年のイトウ釣り開始にあたって、ある目標を立てた。68歳の新人ヨネちゃんに初イトウを釣らせることだ。彼は長年の友人であるが、イトウ釣りを志したのは22年の秋からで、その後産卵観察を含めて6回も稚内に来た。24年の4月にはやっとイトウの産卵行動を見せることができた。そして、今回は7回目であった。もうそろそろ初イトウを釣らせなければならない。

 釣りをする前に、そもそもイトウとはどんな魚なのかを教えた。つぎにイトウ釣りの道具、ウエアなどを入手するにあたって指導した。イトウの棲む川、釣り場、河川情報、潮汐表などの情報も教えた。

しかし問題は、ことしまだ私にも釣果がないことであった。幸いにも彼がやってくる前日に私は今季初のイトウを釣ることができた。偶然でも1匹釣ると、その時点でイトウがどこにいるのか見通しが立つ。

さて、ヨネちゃんは海の投げ釣りの経験はあった。だから、ルアーをキャストするにしても遠くに飛ばすことばかり考えていた。そのため中小河川でやると、やたらと対岸を掛けて、ルアーをロスするのだ。そのうえ、きちんと目標を定めてキャストする訓練を積んでいないので、おもうところにコントロールできない。いったん宗谷特有の強い南西風が吹くと、「ルアーの行方は、ルアーに聞いてくれ」という状況になるのだ。

23年には春夏秋の3回釣りに来た。少しづつ釣技は上達したが、いざとなると、緊張のために決め技が破綻した。たとえばイトウが潜む小場所で、「あの木の真下にいる」とアドバイスすると、最初の一投で、木にルアーを引っ掛けてしまい、場を台無しにした。そんな案配で、イトウ釣りは足掛け3年目に突入した。

2453週目の日、未明に稲妻が走り、強い雨が降った。ヨネちゃんと私が、出発した朝には、雨は上がっていたが、また降りそうな空模様だった。釣り場に着くと、軽く増水して、本流支流ともやや濁っていた。「3投目までに出る」と言って、私はタモを抱えて待機した。そして2投目、彼が投じたバイブレーションにドンとアタリが来た。水柱が吹きあがる。「65㎝前後!」と私が叫んで「こちらに誘導しろ」と待ち構えたが、彼は放心して、竿をあおったまま木偶の坊(でくのぼう)になってしまい、動作が停まってしまった。イトウはバチャバチャと暴れ、やがてフックアウトして逃げていった。痛恨のバラシだった。

場所を変え、下流部に移動した。ふたたび雨が落ちはじめ、うすら寒い陽気になった。川がプール状に膨らんでふたたび川に縮まる好場所で、「ここ出るよ」と指導した。私は下流部に待機し、彼が上流からダウンのキャストをくれた。着水したルアーが一瞬寝掛かりしたように止まったが、すぐ動いた。「来た!」イトウは、やや小ぶりだが、元気よく水面直下で暴れた。こんどは、釣り師は竿をコントロールできた。イトウをタモの方へゆっくりと誘導し、私は楽にネットインできた。「よっしゃー」。こうして、初イトウが釣れた。私とヨネちゃんは、がっちりと握手した。イトウは、体長50㎝、1.6㎏であった。初イトウだから、小さいけれども抱っこ写真を撮影した。「ちゃんと魚をカメラにむけろ」「ほらこっちを向いて」などと笑いながら注文をつけて、なんコマかシャッターを切った。

その日、最初のバラシでヨネちゃんは、イトウ釣りの痛恨の無念を経験し、すぐ立ち直って2匹目に集中した。2匹目のときは、木偶の坊ではなく、冷静に竿を操り、魚をコントロールして、的確にタモ入れに備えた。釣り師は学習したのである。

その夜、ふたりは稚内のうろこ市で、生きアワビや、新鮮な本マグロ、イカなどの刺身を並べて、「初イトウ」を祝い美酒に酔いしれた。5月にしては寒いが心温まる夜であった。