32話  みちくさ


 週末になると、私は早朝から家を出て川にでかけ、帰宅するのも遅い。しかし一日中竿を振っているわけでもない。釣れないときは各地でみちくさを食っている。どこでなにをしているかというと、いろいろある。コンビニで弁当や飲料水を大量に仕込む。食事のためレストランに入る。喫茶店でコーヒーを飲む。散髪にいく。知人の家にあがりこんで世間話をする。ランニングをやる。小説を読む。寝る。温泉に入る。

早朝コンビニにはかならず寄る。並んでいる弁当類やおにぎりはいずれも一度は試したことがあるので、買う前から味がわかる。それでもわりに印象のよいものを買う。飲料水は日本茶・紅茶・スポーツドリンク・ジュース・コーラなどなんでもかんでも買い込む。フィールドに持参するにはソフトバッグの容器がありがたい。宗谷には深夜営業のコンビニは限られているので、店員はもう私を覚えているようだ。これだけ大量に買い込むのは、いったいなにをしている人物かとあれこれ想像しているにちがいない。

食料はいっぱい持っているくせに、ちょっとうまいものを食べたいときは、レストランに入る。私の格好は釣り用シャツに短パン、足はツッカケである。どう見ても品のいい客ではない。たいていはひどく腹がすいているので、一心不乱に嚥下し、注文したメニューの一部でも残すことはない。うまいものを食べ終えると、ふたたび荒野に突入する。

喫茶店は決まった店である。豊富の町はずれにあるイブホワイトは、二回に一回は立ち寄る。白田澄子さんというママが店主である。店にはいると、「お帰りなさい」と言ってくれるのがうれしい。ママは釣り談義をよく聞いてくれ、私の本やらイトウ写真やらも店に飾ってくれているので、まことに居心地がよろしい。最近は調子に乗って、自分の釣果だけではなく、本波幸一名人の写真まで展示してもらっている。彼もたまに来るそうだ。

上勇知のアトリエ華は、画家の高橋英生画伯夫妻がやっている。自宅が喫茶店である。ここに寄るのはたいてい釣りの帰りの夕方である。江別から取り寄せるという豆で落としたコーヒーを味わいながら、画伯と芸術の話をするのもなかなかのものである。

私は散髪が趣味でもある。いつも短いスポーツ刈りなので、ちょっと伸びると目立つ。そこで釣りの合間に散髪である。昔は店はどこでもよかったので、旅先の幾寅の店にも飛び込んで店主に「今度引っ越してこられた方ですか」と驚かれたこともある。いまは大体決まっている。私はサービスより仕事が速いほうがありがたい。どうせ散髪したばかりで、汗だくになってヤブこぎに突入するだけなのだ。

知人の家に上がりこむといっても、たいていは川の近くの酪農家である。酪農家というひとびとは、いつも働いているので、遊びの途中にふらりと寄るのは、心苦しいが、それでも自分の患者さんだったりすると、歓迎される。じゃまをして、帰りに自家製の野菜をもらってきたりする。まことにあつかましい。

ランニングをするのは、本当に絶望的に釣れない日だけである。川が増水で膨れ上がって、流木をぷかぷか浮かべ、味噌汁みたいに濁っている場合である。車にはランの道具が積んであるので、ひろびろとした牧草地あたりのミルクロードをのんびり走る。案外さわやかな気分になるものである。

小説を読むのも、釣れる見込みのすくない日に決まっている。車には数冊の文庫本が搭載されているので、気分に適した本にとりかかる。椎名誠・開高健・西村京太郎・コナンドイルといったところだ。たいていは数ページもいかないうちに眠くなるので、そのまま仮眠に移行する。これはなかなか気持ちがいい。短時間でも眠ると、またあらたなエネルギーがどこからか湧いてくるから不思議だ。

温泉は最後の最後である。私はだいたいが風呂嫌いである。湯にどっぷり浸かってしまったら、もうすべての戦闘意欲を失ってしまうからだ。それでも湿原でどろどろ、ぼろぼろになってしまったあとには、ちょっとひと風呂浴びることがある。幸い、北海道には各町村にはたいがい温泉がある。問題は、入浴したあと稚内の家まで居眠り運転をしないことである。

こうやってみちくさを食いながら、イトウを追うのもおもしろい。ただし、イトウがガンガン釣れるときは、こんな悠長なことをやっているヒマはない。