第309話 2021年春 |
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第309話 2021年春
2021年春を迎えた。宗谷ではこの冬積雪量が多かったが、4月に入り雪は急速に消滅した。あっという間にイトウ産卵の季節となった。 4月16日、ことし初めての観察に出発した。国道の路肩にフキノトウが顔をだし、湿地には水芭蕉もまばらに咲いている。シーズン初めの期待と若干の不安を抱いて、いつもの支流に突入した。農道に雪はない。しかし農道のど真ん中に大きなダンプが停まり、路肩の造材積み込み作業をしていたので通れない。それではと、草地わきに車を停めた。オリンパスと最近入手したGOPROを持って川の下流部を歩いた。するとすぐに浅瀬を突っ切る赤い魚を発見して嬉しかった。頭部以外は赤く染まった90オスだ。間もなく70オスがのぼってきたが、一撃で駆逐された。オスたちはメスの遡上を待っているのだ。 17日、早朝にやってくると、釣り友トラコさんの車が先着していた。遠い内地からご苦労さんだ。川をのぞきながら上流へ向かった。牧草地に雪はなく、鹿の群れが歩いた痕跡があちらこちらに残る。いくつ目かの屈曲部に彼が立っていた。半年ぶりの再会だ。彼が差す指の先に90オスと90メスのペアがいた。クマザサのカバーの下で、ガバガバと派手な水柱をたてながら、メスが産卵床を掘っていた。オスはふらふらと近づく70オスを追い払った。例年と変わりがないペアの産卵行動を見ながら、あれこれイトウ話や情報交換をするのが楽しい。いっしょに歩くと、彼のスピードに付いていくのがやっとだ。私は72歳で、若い彼とは年齢差が20歳以上あるのだから、仕方がない。 彼は最近GOPROで水中撮影することに凝っている。単に市販の道具でやっているわけではなく、長い一脚やらを組み合わせて撮っている。その水中映像が素晴らしい。かれこれ20年も前、釣り映像を撮るためにプロカメラマンがCCDカメラなどを駆使し試行錯誤してやっていた仕事を、現在では素人の彼がひとりで簡単にやっている。道具は飛躍的に進化したが、イトウの行動はおなじなので、それを熟知しないとできない撮影である。私はこういったハイテクノロジーには疎いが、若い人びとに刺激されて何年か遅れで道具類を装備しているが、なかなかうまくゆかない。 18日は朝から雨だった。それでも産卵河川に行ってみると、トラコさんはすでに川を観察しながら巡り歩いていた。「あそこに鹿が死にかけています」と言われて、見に行くとひん死のメス鹿が辛うじて息をしていた。「ここは危険だ」ととっさに感じた。ヒグマが森のなかからシカを狙っている可能性がある。われわれはもちろん熊スプレーを持っているが、そんなものに頼る経験はしたくないので、早々に退去した。その日の川は増水して濁りが強く、イトウは見つけづらく、たとえ見つけても撮影には苦労しそうだった。 この雨で川は一挙に大増水する。その増水に乗って、イトウが大挙して上流へと遡上する。おそらくサロベツ原野では川は氾濫し、イトウは牧草地を泳ぐことだろう。 翌19日朝、河川沿いのライブカメラ映像を見ると、かの地は雪景色であった。一時的に季節が揺り戻った。 毎年のことだが、イトウの遡上産卵を見届けると、何とも言えない穏やかな気分になる。イトウはぶじに冬を越し、子孫を残し、ことしも道北の川の王者として君臨する。 |