298話 また春が来る 

 

 2020年になった。私が稚内に来たのが1989年だから31年目ということになる。その前年の88年までは南極越冬していた。

昭和基地から670㎞はなれたセールロンダーネ山地の北麓にあすか基地を建設して、そこで初越冬した。たいそう風の強いところで、いわば「嵐の大地」だった。帰国して1年間札幌で暮らしたあと、稚内に外科医師として赴任した。稚内の住民は「ここは海風が強くて」と口々に言うが、南極帰りの私にはそよ風としか思えなかった。

 宗谷の面積は京都府と同じくらいだから、広大とは言えないかもしれないが、人口が少ないので、相対的には広大な土地である。海であろうと川であろうと、ふつうは人口が少ないところでは、魚はよく釣れる。これはman land ratioが低く、釣圧が小さいからである。

 道北のイトウは野生魚で、宗谷では一部の釣り場を除けば、ほぼスレていない。小さくても大きくても素直に疑似餌にかぶりつく。1990年ころから私は釣り人のほとんどいない流域を独りで渡り歩いて、イトウを追いかけた。そのころもイトウは「幻の魚」といわれていたが、現在と比べれば遭遇することは難しくなかった。現在の蓄積した知識、進化した釣り道具、GPSなどがあれば、もっともっと釣れたかもしれない。

一方で、当時は必要とはおもえない土木工事や河川工事がいまよりずっとおおっぴらに行われていた。宗谷丘陵を縦断するような2車線道の工事がはじまったが、いつの間にか中止され、廃道になった。北緯45度付近でオホーツク海側と日本海側を結ぶ林道も、私は路肩から落ちないかとハラハラしながら四輪駆動車で走行したが、いまは通行止めになっている。中小河川の多くの土手道も不要という理由なのか、維持作業がなされなくなった。いずれもイトウにとっては良い経過だった。

私の1994年から2019年までの26年間のイトウ釣果をホームページで公表している。釣果はさまざまな要因で増えたり減ったりしているが、おおむね変化はすくない。平均体長もほぼ同じである。これを根拠に私はイトウ資源が増えてもいないが減ってもいないと述べている。異論のある人がいれば、継続的な根拠とともに公にすればよいとおもう。

まもなくイトウ産卵の季節となる。地元の私は毎年、遠方に住む愛好者の友人たちにいち早く情報を送ることになっている。私が川で産卵が始まったとメールやラインで伝えると、みなさん喜んで飛んでくる。現場の川で再会を喜び、握手を交わし、情報を交換することから、われわれのイトウのシーズンがはじまる。

 いま現在、北海道では新型コロナウイルス感染の拡大が最大の懸案事項である。私も臨床医として、拡大防止の前線にいる。日常は危険な現場に居るが、川へ行けば、その対極のこれ以上ない安全な場所である。私は「外出」することが、一番の安心安全を得られるのである。

 いまは感染の終息を待ってじっと耐えるときである。感染者が北海道から消えたとき、ほんとうの春がことしもやってくる。