294話 大河の秋 

 

 私は大川での釣りが苦手である。滔滔と流れる大河の一点で一日中祈るようなキャストをつづける釣り人には敬意を表したい。私なら10投もしたらもう移動したくなる。

 この秋は中小河川にイトウがいなくなったので、大河に遠征した。私は原野での釣りが専門なので、人里に近くアプローチがたやすい釣り場をあまりよく知らない。そこで若い釣友から状況を教えてもらい、自分の好みも加えて、大河に参上してみた。

 まず行ったのは樋門である。大河にはこれが数多くある。小支流の流れを調整する人工物だ。ふだんはほとんど水流がない。しかし雨後は面白い釣り場になると想像できた。何度か行くと、雨後の水位が上がったとき、イトウが樋門と大河との合流にウロウロしていることが分かった。

つぎに行ったのは、大きな橋の橋けたである。まず橋の上から上流と下流を俯瞰して、魚がいるかいないか目視観察する。もちろんそう簡単に見えるわけではない。川が適度に増水して濁っていると、魚なんかまったく見えない。そんなときに反応がある。

川に立ち込むと、遥か対岸に向けて11フィート竿を存分に振ることができる。気持ちがいい。もちろんいつでも立ち込めるわけではないので、水位との相談となる。

大河には土壁が多い。雨後など壁を降りた後つるつる滑って昇りに難渋することも多々ある。私は、常に15メートルほどの細引きを持っていて、危なそうなところでは、太い立ち木にロープを巻き付けて、垂らしておく。こうすればロープを頼りに昇ることも可能である。慎重な人は、着脱容易なアイゼンを装着する。

 とある支流の入り口には「羆出没」の看板が立っていた。あれは多分サケの遡上時にヒグマが来るということなのだろう。サケと飼料用トウモロコシは大河周辺をうろつくヒグマのお目当てなのだ。したがって秋の支流との合流点とデントコーン畑近辺にはヒグマが来ると思って行かなければならない。「羆出没」とはそこにヒグマが出たという情報であって、つねにそこにヒグマが居るわけではない。むやみにおびえる必要はないが、熊鈴や熊スプレーの持参は当然である。

さらに川沿いの農道を走ると、よさそうな風景に出会う。まずは竿を持って偵察することになる。合流点にはたいてい先客がいる。常識的には良いポイントである。しかしそんなことは誰もが考える。おそらく、雨後の水位上昇や、支流河川の急な変化が釣果を左右するに違いない。釣り人が気持ちよく安全に立ち込めるような状況では、あまり釣れないだろうと私はおもう。

 大河の流れは一様ではない。ほとんど止水のように流れが緩慢なところもあれば、激流となっているところもある。どちらもよさそうだ。私はワンドとなって膨らんで反転流となっているところも好きだし、激流にルアーを投げ込んで、ゆっくりゆっくり逆引きすることも好きだ。

 立ち位置は、つねに川岸まで降りることではない。できれば一段高いところからキャストし、魚の追いなどを俯瞰できる釣り座を確保することである。ヒットしてからゆっくり川岸に下っても遅くはない。ただし足場を前もって確かめておかなければならない。また大河には恐るべき泥岸があって、不用意に踏み込むとウエーダーの足が抜けなくなる。ときには長い柄のタモも要る。

 大河の魅力はその雄大な流れであり、その場に立つだけで、川釣りの醍醐味を味わうことができる。

ときに雲間から陽が差しはじめ、沿岸の風景が鮮やかに色づいていく。大空をオジロワシが旋回する。遠くに列車の汽笛が鳴る。

大場所で竿を振り続けていると、いつ魚が食いつくのか、あるいは食いつかないのか見当もつかない。だが来たらでかいぞという期待は大河への畏敬の念にまで高まる。心地よいひとときだ。