29話  イトウの陶芸


  イトウ釣りに熱中してよかったとおもうのは、仕事だけではとうてい会うことのないひとびととイトウを介して交友を結ぶことができたことである。それらの人びとは料理人であったり、俳優であったり、作家であったり、陶芸家や画家であったりする。もちろん釣りのプロもいれば、トップアマといえる人びともいる。みんなイトウが縁で親しくなったのである。

 イトウの友のなかで松尾昭典(まつおしょうてん)さんを紹介しよう。彼は群馬県赤城村に住む陶芸家である。食器類も製作販売しているが、ライフワークは魚の陶芸である。作品はデフォルメされたものではなく、非常にリアルである。種類も海水魚あり淡水魚ありと豊富であり、おそらく彼の工房の棚には水族館のようにたくさんの色とりどりの魚たちが生き生きと泳いでいるにちがいない。私は松尾さん作の好きなサケ科の魚たちをずらりとならべてながめていたい。日本産最大の淡水魚イトウの陶芸作品を作るにあたって、松尾さんは私にアクセスされた。「イトウ 北の川に大魚を追う」を購入していただき、より詳細な情報を必要とされたからである。とくに動きのあるイトウの姿や、ふだんあまり見かけない腹側のイトウの構造などを熱心に聞いてこられた。私は自分の撮影した写真と電話での説明で期待に応えようとした。本当は釣りに同行して、ファイトシーンをお見せできればいいのだが、なかなかその機会がない。

  彼は製作する種類の魚を可能なら実物で観察するという。イトウの場合も、養魚場から一匹購入してその姿かたちをじっくり観察するという熱心さである。それでも養殖魚と野生魚は全然ちがうだろうと私のアドバイスを求められたのである。そのとおり、養殖魚や水族館の水槽内のイトウと、釣り上げた野生魚はまったく別物である。養殖魚はひれが丸く小さく、狭い水槽でけんかして皮膚が傷ついていることが多いが、なによりも人からえさをもらっている魚に野生魚の体力や英知や闘争心はない。野生魚の体は筋肉質で、凛として美しく、野生魚が漂わせる緊迫感も格別のものだ。松尾さんが、野生魚を見たがったのは、当然である。松尾さんにお会いしたのは、たった1回だけである。1999年に阿部幹雄の写真展が東京新宿の京王プラザホテルのニコンサロンで開催されたとき、わざわざ赤城村から見にきてくれたのだ。温厚な紳士であった。私はイトウにもヒトと同じく一匹ずつ個性があり、魚相があり、表情もあるとおもっているが、陶芸家はイトウ写真展からどんな製作のモチーフを得られたのであろうか。

「魚の陶芸家・松尾昭典」さんについては、群馬県渋川市の書店・正林堂のホームページに詳しく紹介されている (http://www2.freejpn.com/~az1156/page152.html) ので、そちらを見てもらえばいい。ホームページの管理をやっている星野上さんによると、松尾さんも釣りが好きで、魚談義が好きで、話しはじめると止らないそうだ。松尾さんからは、2体の陶芸イトウ作品をいただいた。それは、私が送った各種のイトウ写真を参考にされたからであろう。イトウのような大きくて、細かい手作業を要する作品は、どれほど高価なのか見当もつかない。これらは私の宝物となっている。

  1体は86pのほぼ実物大のオーソドックスな全身像であり、着色も写実的である。この作品は松尾さんが最初に試作したうちの1点で、上からみた砲弾型の背中は重厚で、私の好きなカーブを描き、釣りでヒットした記憶を鮮明に思い出させてくれる。もう1体はイトウの頭部から胸びれまでの作品で、大きく口を開いて小魚を襲おうとしているようだ。形態はランプシェードになっていて、暗所でランプを点灯すると、口と斑点の穴から光が漏れて幻想の世界に誘われる。釣りのできない冬の夜長に、ランプシェードを点灯し、作品を見つめながらバーボンをオンザロックで飲んだ。火を噴くようなイトウを見ているうちに、釣りがしたいと渇望したものだ。

  巨大イトウの野武士のような風貌が、硬質の陶芸作品にはまことによく似合う。私はカッと開口した松尾さんのイトウに急かされるようにして、竿をかかえてイトウの棲む川へと出陣するのである。