285話 宗谷天国 

 

 宗谷の5月から6月にかけて、「ここは地上の天国か」と釣りキチの私は思う。その大きな理由は、イトウ釣りの最盛期であることだが、ほかにも理由はある。5月下旬になると、宗谷の牧草地では西洋タンポポが満開となり、あたり一面黄色い絨毯を敷き詰めたようだ。ちょうどそのころ、稚内の裏山にはエゾセンニュウが夜明け前に鳴きはじめる。「ジョッピン(錠前)掛けたか」と忙しく鳴くのであるが、その鳥の姿を見たことはない。

 私は毎朝、3時には起床し、明け行く時間帯に一日のはじめの日課であるランニングに出かける。自宅から北海道遺産でもある北防波堤ドームまでを往復する。身体が温まり、特殊な脳ホルモンが分泌されはじめると、「やる気」になる。「さあ、釣るぞ」とテンションが上がったところで、車を始動し、いざ川に向かう。

 家から釣り場までわずかに15分だが、その前に橋から川全体を眺めるので、その分を省けば、もっと短時間に釣り場に着くのだ。そんな近距離にじつはメーターを超えるイトウが泳ぐという現実は、釣り人には天国としか思えないのだ。

 平日の朝に釣りに出かけるもの好きは、さすがに少ないが、最近では、遠路はるばる来ている釣り人が、「これが仕事」とばかりに、毎朝確実にやってくるので、私などいくら早く来ても、すでに誰かが竿を振っている。

 手早く、ルアーまでセットしてある長竿、3段階に伸びるタモ網、それに大物がかかったときに使うグリップ、防水袋に収めたカメラを車から取り出す。すでに家でウエーダーをはいているので、あとは、ジャケットを着て、帽子をかぶれば準備は完了だ。

 川沿いの小道を、自分の釣り座に向かう。途中で川の色、濁り、水位、小魚の有無もチェックする。

 釣り座に着くと、二本継ぎの竿を組み立てる。長タモを2段階に伸ばす。そして、水温を電子水温計で計る。必ずやることは、川の風景を撮影する。これは、カメラのテストでもある。

 準備が整ったところで、第1投をくれる。私の胴調子の11フィート竿が気持ちよく曲がり、バイブレーションのルアーが遥かに遠く飛んでいく。その軌跡を追うのが好きだ。チャポンと着水すると、いよいよリールを巻きはじめる。

 こうして釣りを開始するが、相手は天下の幻の魚イトウである。そんなに簡単に釣れることはない。たいてい坊主で帰る。たまに外道として、ボラ、アメマス、カワガレイなどが出る。クロソイがヒットすることもあるが、その時はキープして煮付けで食べると非常にうまい。

 私は日中はまだ現役で働いているが、時間には余裕があるので、夕まずめの釣りに行くことも多い。

 この際は、ちょっとだけ遠出をする。舞台は中小河川か大河である。1か所か2か所だけやる。案外イトウのヒット率は高い。なにしろ平日だから、釣り場を競合するライバルはほとんどいないのである。

 夏の時期、日本最北の宗谷では、日没の時間は遅く、20時近くまで竿を振ることができる。

 釣りから帰宅して、夕食を済ませると、もうくたくたなので、そのまま寝てしまう。翌日もまたおなじスケジュールであることが多い。まさしく釣り天国である。