273話 産卵シーン  


4月半ばを過ぎると私は毎年落ち着きをなくす。雨予報が出るごとにイトウ産卵が始まる予感がして、バタバタする。イトウ釣りをかなりやっている親しい釣り人たちは、シーズン開幕を産卵観察と位置付けていて、「そろそろですか?」聞いてくる。地元の私は情報収集のため毎日のように河川の見回りに行くことになる。それが無類に楽しい。

2017年は416日から動きはじめた。山深いところに単独で行くのは気が進まないので、道路からほど近く手ごろな2河川をパイロット的に探ることになる。期待でドキドキしながら行ってみたが、どこにもイトウの気配はなかった。水量は産卵には十分あり、水温も8℃ほどあって、いつイトウが遡上してもおかしくなかった。しかしあたりに驚くほど残雪が少なかった。これなら源流河川の水量は、降雨によって増えるしかない。雨がイトウの遡上と産卵の引き金になるはずだ。

20日の午後からも出かけた。前日に雨が降ったからだ。林道のあちこちに水たまりがあることから、河川流域の降雨は間違いない。いつもの駐車位置に車を停めた。すでに残雪は消えていた。

川幅わずか2mの細流を注意深く見ながら上流方向へ進むと、バシャと水音がした。

それだけでイトウが来ていることを確信した。小橋の直下に大きくて赤い尾びれが見えた。すでに深く大きな産卵床が掘られている。視線を先に送るとメスもいた。オスが90㎝、メスが80㎝のペアである。なかなか見ごたえのする2匹だ。メスがツツと前進して身体を倒しひらひらと尾びれを振って、砂利を掘った。私はこの掘り行動から鞘をはらった日本刀のきらめきを連想する。写真を数枚撮った。

 とりあえずペアを確認すると、足早にさらに上流を目指した。他のペアも探したい。200mほど先に80㎝オスと70㎝メスのペアがいた。このあたりは川幅1mしかない。こんなところに産卵して、2か月後に卵が孵化するころまで水があるのだろうか。

先ほどの大物ペアの場所に戻ったら、メスの掘り行動が活発化していた。「これは産卵放精が近いぞ」と思ったら、数秒してオスメスが並んでパカッと口を開いた。「やった!」カメラの連射音が鳴った。めったに撮れないドンピシャの産卵シーンを撮れてうれしかった。

ちょうど1年前からスマホをはじめた私は、LINE友だちに産卵シーンの写真を送りつけた。それが呼び水になったのか、週末の土曜日には釣り友だちが、川に5人集まった。その日はイトウがさっぱり見られなかったが、川は釣り仲間の情報交換の場となった。私は札幌へ出かけたが、イトウの会の川村は、あちこち歩いて、日曜日の夕方に100㎝のメスに90㎝のオス2匹がからむ大物の産卵シーンを撮ることができたと喜んでいた。執念は報われるものなのだ。

まだ黄金週間まで数日がある。その間に雨が3日間も降る。イトウには遡上産卵のスイッチが入るはずだ。これは期待がもてる。

産卵期のイトウの撮影では、3つの課題がある。①はドンピシャの産卵放精シーン、②は赤いオス同士の激しいバトル、③は小滝などのジャンプシーンである。テレビ局が作るイトウ産卵の番組では、これらがないとちょっと寂しい。テレビ局では専属スタッフが半月も川に張り付いて撮影するのだが、われわれはそれを1日で撮影しようとする。それだけイトウ産卵の場所と時期を知っていなければできないが、ことしはそれが可能だろうか。