268話 イトウ2000匹撮影行  


 2016年のイトウ釣りで最大の目標は、23年間かけたイトウ釣り2000匹を達成することであった。開幕時生涯釣果が1930匹であったから、70匹を釣ればよかった。楽勝だと思っていた。

しかしこの年、イトウ釣りは順調とは行かなかった。517匹、617匹、714匹、89匹で57匹釣ったところで、9月に突入した。2000匹まであと13匹を残して9月を迎えた。

ビデオジャーナリストの阿部幹雄が、2000匹へのカウントダウンを撮影して、テレビ放送することが決まっていた。その放映日が929日だという。いきなり期限を切られてしまった。編集の時間も必要だし、阿部には他に仕事もあるから、20日前後には撮影を終えたいという。

ところが、827日に57匹目を釣ってから、911日まで1匹のイトウも釣れない大スランプに陥った。その期間川は渇水が主であったが、96日には稚内で1日に192mmという大雨が降って、街は水浸しになった。釣りどころではなかった。さらに99日には南極観測船しらせが稚内港に入港し、そちらの行事の実行副委員長でもあったので、釣りの時間が割けなかった。てんやわんやの時のあと、阿部幹雄が913日にやってきた。

川は大雨直後の大増水が収束しつつあった。前日の912日、上流でひさしぶりに58匹目が出て、多少とも明るいきざしはあった。だが正味8日間で12匹のイトウを釣るのは正直厳しいと思った。

13日未明インターで待ち合わせして、釣り場に向かった。快晴で川霧が湧く美しい朝であった。写真集を作るために阿部と撮影釣行を重ねたのは15年も昔であったが、ひさしぶりに彼とコンビを組んで、川に向かうのは楽しみだった。撮影は地上だけではなく、空中からも水中も撮るという。撮影初日、いきなり59匹目67㎝が来て、釣り師も写真家もほっと安堵した。

阿部はわが家に泊まり込み、原則として早朝と午後に撮影、日中はITを駆使して別の仕事をするという。日中私も病院での仕事がある。毎朝4時前には阿部を乗せて、川に向かうことに決めた。

14日、川の水位はベストで、76㎝と54㎝が出た。撮影も予定どおり消化した。いけそうな気がしてきた。

15日、朝バラシ1匹。午後は大物狙いで大河に挑んだが不発に終わった。

16日、朝62㎝、午後は雨となった。小河川の立ち込み釣りあがりを決行した。奇跡的にすばらしいササ濁りになった川で43㎝がヒットした。番組にはさまざまなシーンがあったほうがよい。午後の川歩きは役立つはずだ。

17日、前日から降った雨で、大増水となり、釣れる可能性がほとんどなくなった。阿部は他の仕事も抱えていたので、いったん札幌へ帰った。つぎに宗谷に来る日は2000匹達成の撮影のためと決めて、私はそれまでに6匹釣っておくことにした。大きな課題である。

18日、日曜日なので、朝から夕方まで3本の河川を動き回り、必死で釣りをつづけたが、釣果はわずかに43㎝が1匹のみで終わった。

19日、敬老の日。ちょうどいい具合に減水してきた川で、朝のうちに62㎝、67㎝が来た。さらに場所を替えて、53㎝と26㎝を釣った。この時点で1998匹となり、残り2匹となった。もう大丈夫と安心して、いったん帰宅した。しかし午後になって、最善を尽くそうと、もう一度川へ出向いた。夕方70㎝が出て、これで2000匹に王手をかけた。阿部にメールで連絡し、明日に達成すると告げた。彼も喜んだ。

20日、再度インターで阿部と合流し、川へ走った。夜明けの風景が美しかった。私は自信に満ちていたが、最初のヒットでいい手ごたえを感じたが、その魚をバラシてしまった。その朝は私の都合で6時半には納竿しなければならない。魚がなかなか出ない。若干焦りはじめた610分に60㎝がヒットして、これで2000匹となった。記念撮影、リリースシーン、川への感謝のあいさつなどの撮影を消化して、ちょうど6時半となった。危ういが、吾ながら見事なフィニッシュであった。

阿部と撮影釣行をやるのは久しぶりだったが、スタンバイしたとたんに昔のコンビに戻った。あうんの呼吸で言葉が要らない。釣り師にはスイッチが入り、想定外に釣りまくった。おそらくイトウの神さまが釣り師の肩に舞い降りたのだろう。