264話  春の原野行


 5月下旬の土曜日、朝一番に立ったのはイトウの会のホームリバーであった。すでに大村、川村、佐藤が先着していた。後れじと私も手早く準備をして、定点ポイントに立った。だがその日は川の流れが遅く、餌魚が群れているわりにはイトウの活発な動きがなかった。早々に移動することにした。

 この緑が萌える季節は、原野行がよい。真新しい砂利を敷いた林道に突入し、駐車ポイントに着いた。心がはやる。ところが車のドアを開けてタイヤを見ると右後輪が急速にしぼんでいるではないか。いきなりパンクだ。愕然とする。それでも私は四輪駆動車のタイヤ交換だけは自信を持っている。予備タイヤと交換し終えたのは20分後であった。

せっかく来たのだから、川に向かうことにした。ミズバショウの季節はすでに終わり、ヨシの新芽が芽吹いたばかりだ。原野の見通しは大変よい。軽く汗ばんだころに目的地である旧合流点に着いた。ここを主戦場にしていた20年ほど前のことが懐かしく思い出される。

準備をして短竿でひょいとルアーを投げると、すぐイトウが食いついた。かわいい30㎝の小学生が眼を白黒させていた。幸先がよい。原始の川の美しさや、変化に気を取られて、ていねいに撮影したが、ふと足元を見ると、爪も生々しいヒグマの足跡がべったりある。さすがにドキッとした。昔はヒグマなど生息していなかったが、最近はこんな辺鄙なところに足を運ぶ釣り人がいないせいか、ヒグマのテリトリーになったみたいだ。川をじっくり探りたかったが、すぐ近くの藪のなかに居るかもしれないので、早めに立ち去ることにした。車にもどり、おにぎりを1個食べた。予備タイヤは使ってしまったので、稚内に帰ってパンク修理をしてもらうことにした。

稚内を再出発したのは9時だった。川の中を歩きたくなって、「刈り分け」と名付けたポイントに来た。こちらもヒグマの出没があるので、スプレーと羆鈴を持つ。川中を腰まで浸かって歩き、DDpanishを遠投したが、イトウは出なかった。

その日は「俺の釣り場」を丹念に探り、いつもの合流点も試してみたが魚信はなかった。遠来の釣り人が多い週末だから、場荒れしているのかもしれなかった。水温も19℃まで上がった。これではイトウの活性が落ちる。そこでもっと水温の低い川に移動した。

その川は山岳に近く、流域も短いので水温が低い、まだ17.5℃であった。川中に立つとウエーダーを通して水温が心地よい。透明度が高いので、遠投しないと魚は警戒するに違いない。ことしから新調になった「川の防災情報」の水位データでは、川中を通して歩けるはずだが、水深分布が微妙に変化していた。ずっと魚信はなく、終点の「絶対ポイント」に着いた。ここに居なかったら終了する。「絶対ポイント」とは、絶対に居るからつけた名だが、最近は絶対ではなくなった。

さて「絶対ポイント」の釣りを開始する。イトウが潜む場所は2か所。左岸の瀬頭のえぐれの下と、もっと上流の水中木の林の中だ。手前側から探るが、出ない。そこで大遠投して瀬の上部から左岸のブッシュ脇を通してくると、いきなり重さが乗った。

「いた!!」

手ごたえ十分のイトウを引きずりおろすと、90㎝はあろうかという良型だった。まだほんのり赤味が残るオスだ。ラインは20lbだが持久戦に持ち込んだ。浮上して動きを止めたところで、背中のタモで素早く頭からすくった。計測すると86㎝、5.3kgである。タモの中に置くと暴れて傷つくので、グリップを下顎にかませて、自由に水中を泳がした。水上から、水中から撮影した。スマホを車に置いてきたので取りに行った。その間は腰ベルトを立木にセットして、伸縮紐につながったグリップで自由にさせる。工夫次第でなんとでもなるものだ。スマホは5月から導入したが、やっと魚の撮影にも慣れてきた。iPhoneは水に弱いので、濡らすわけにはいかない。だがいつかは水中に落とす予感もする。カメラも何台も水没させてきたのだ。

 こうしてなかなか波乱のある釣行だったが、結果はオーライだった。車に戻ると、すぐ釣り友にLineで送信して自慢した。反応も早い。また釣りの楽しみが増えた。