263話  行方不明


 黄金週間を中心に行われたイトウ産卵が終わると、成魚のイトウはどこへこつ然と消えてしまうのか。産卵が収束して、さあイトウ釣りをはじめようとしても、すでに上流にも中流にもイトウはいないのだ。常識的には、産卵行動で消耗した体力を回復するために、餌の多い下流や海に下るのだろうと考えられている。しかし、いざその時に下流で竿を持って待ち構えていても、そうおいそれとはイトウが釣れないのだ。

 2016年もそうだった。5月の第2週にはいって私はカメラから竿に持ち替えて、岸辺に立った。この時季、中流は草木が繁茂していないのでたいそう釣りやすい。見通しがよく移動するのも容易だ。雪解け増水も収束し、水の色も泥炭色のササ濁りで、妖しく釣り人を誘う。しかし肝心のイトウが居ないのだ。行方不明だ。

 業を煮やした私は、早朝はホームリバーの下流に陣取り、それが終わると中流のフィールドの探検に出かけることにした。

 週末が迫ったある朝、そそくさと準備をして、いつもの釣り座に立った。457分である。水温は9.1℃。すでに日が出て、正面から光が届く。風景写真を上流と下流方向の2枚撮った。「さて、釣りをはじめよう」。私は挨拶代わりに太陽に向かって思い切りキャストして、着水を確かめ、ゆっくりとリールを巻いた。ラインが右前方45度から手前に戻ってくると、あと5メートルというところで、ガツンと衝撃がきた。思い切り追い合わせを2度加えた。ラインはことしからナイロン25ポンドに強化したので、安心してあおれる。力勝負ができる。魚は良型だが、90はない。ドラグを鳴らすパワーもない。強引に寄せて、大タモであっさりすくった。体長86㎝、体重6kgのイトウだった。

 週末にはイトウの会の新人さんを伴って原野に繰り出した。要所要所の釣りやすいポイントにはすでに車が3台も停まってにぎわっている。そういうときは「俺の釣り場」と名付けたエリアに入る。別世界のように静かで、大体は釣れる。ところがここにもイトウは不在だった。

 自信のある釣り場のどこにもイトウが居ないとなると、川の上流から順繰りに探っていくしかない。私のドル箱河川の2本を、土日かけて丹念に探って歩いた。川は色合い、濁り具合、水温911℃、水位ともにベストに近いのに、魚信はなく、うんともすんとも云わない。さすがに参った。

 それでも「ここで止めよう」と覚悟して入った釣り場は、いつもより10㎝ほど水位が高く、動くのもちょっとしんどい。下流の瀬に踏み込むと身体がもっていかれそうだ。上流の渕を目指して、水中でつま先立って進み、「ここぞ」という地点で、竿を大きく振って、レンジバイブを遠投した。飛び込み選手の水柱のようにきれいに着水した。ルアーを川底まで沈めて、ゆらりゆらりとゆっくり曳いた。渕の最深部あたりで、突然グオーンと重量がかかり、大きな魚が食ったことが分かった。素早くリールを巻いて引き寄せると、立ちこむ私の脚に絡みつくように、イトウが突進してきたので、あわやのところで、闘牛士のようにかわした。瀬に逃げ込まれないように、ドラグをきつく締め、比較的浅場に移動した。こうしてなんとかゲットしたイトウは、804.7kgの立派なやつで、大いに満足した。

 こうして行方不明だった良型イトウは、一匹は下流域に居て、もう一匹は中流部の渕に潜んでいた。やっぱりこの時季のイトウは、深いところが好きなのだ。どこにいるのか分からないときは、深渕を探してあるけばよいと理解した。