第262話 源流行 |
2016年はイトウがどのような産卵行動を取るのか気になっていた。暖冬で山の積雪量が少ないと、雪解け増水も早く収束する。イトウが産卵のために遡上するタイミングで、産卵河川に十分な水量があるのだろうか。 私がことし最初の観察にでかけたのは4月16日。大河の小支流で気温4℃、水温6.7℃の条件下で80♂を見た。「遡上がずいぶん早い」と感じた。同19日には80♂+80♀のペアを確認したが、まだ移動中であった。 21日には、気温が上がって雪代が出た水位の高い川で90♂+70♀を見たがこれも遡上中であった。結局80♂+70♀の産卵床掘り行動を確認したのは24日であった。例年通りの日であり、イトウは季節の進行と関係なく、独自のカレンダーで産卵するのかと半信半疑になった。その後、私の都合で同河川を観察することができなかった。 黄金週間になり、待ちかねたように首都圏からトラコ君がやってきた。中小河川の草原で久しぶりに再会した。その日天気は下降線で、私は札幌へ出かける途中であった。ゆっくり産卵観察したりイトウ談義したりする時間がなく、不本意だった。彼はその日、別の源流でなんと15匹ものイトウを見たと連絡をよこした。私が20年も前にヤマメ釣りで入った川であった。 イトウが生息する河川の上流部で産卵が行われることは容易に想像できるが、上流部の具体的にどこでいつ産卵行動をするのかは、実際行ってみないと分からない。何本もの川を歩いて、足を使って調べるしかないのだ。毎年観察に行くと分かることだが、産卵は毎年ほとんど同じ場所で行われるのだ。したがって、一度しっかり確認できれば、それはまた次の年も同じ所で産卵行動が見られることになる。 5月3日にトラコ君に誘われて源流行に同行することになった。とある橋で合流して、いざ源流に突入した。林道のゲート前で車を捨て、そこからは歩きだ。まだあちこちに残雪が見られる。歩きはじめてまもなく、林道上に一台の雪上車が放置されていた。ボディに北海道大学低温科学研究所とペイントされていた。冬には極寒の地となる地域の研究に使用されるようだ。元南極越冬隊員だった私には懐かしい車両であった。イトウを見に来て、突然に古い南極越冬生活に戻ったようなものだ。 ササを漕いで、幅3メートルほどの川に入る。ゆっくりとイトウを探しながら下る。川の蛇行はものすごい。先導するトラコ君は、すでに何度も来ているらしく、自信にあふれて行動する。ガーミンというGPSを持っているので、的確に位置が分かるという。地図と磁石と第六感で歩いていた私の時代ではない。結局その川では、彼が1匹の姿を見ただけだった。 つぎに突入する川が当日の本命河川である。この川は「泣く子も黙る」ヒグマの生息地として釣り人や山人から、恐れられている。林道入り口には、「羆出没注意 北海道大学」の看板が立ち、極めてリアルである。われわれは思わず羆スプレーと熊鈴を確認した。この一帯は羆の密度が濃いので、北大ヒグマ研究会の研究フィールドになっている。 ふたりでしゃべりながら林道を奥へとたどる。谷は案外明るく、ハルニレの大木やシラカバの林が美しい。しかしヒグマはどこに潜んでいるかもしれない。単独ではとても行く勇気が湧かないだろう。やがて人工的な池が現れ、小さな峠を越えると川が現れた。橋の代わりに、コルゲートが埋設されている。そこから川に入った。下流に歩くと平瀬にすでに出来上がった産卵床がいくつもあった。その日はいなかったが、タイミングさえ合えば、ずいぶんにぎやかな産卵シーンが展開されるのだろう。岸辺近くに婚姻色をした70㎝のイトウのオスが死んでいた。なにかに喉を食われた死体だ。なにかって、ヒグマ以外になにがいる。川の王者を襲うやつは、陸の王者しかいないだろう。ザワーとした。 「うわー、あっちにもこっちにも足跡がありますよ」と言われて、岸辺の湿地帯を見ると、横幅20㎝を超える足跡が、べたべたと残されている。トラコ君は、足跡の横に自分の靴を並べて、写真を撮った。おそらく、ヒグマもここで産卵遡上するイトウを狙って待ち受けていたのだろう。 「イトウをくわえたヒグマの写真を撮ったら、反響は大きいよ」とは言ったものの、そんな撮影をする勇気なんか出そうにない。イトウは不在で、代わりにヒグマが居そうな不安が拭いきれず、われわれは長居することができなかった。 帰路もしゃべりつづけて気を紛らわせながら歩いた。 「ここにもある!」林道の真ん中に、またヒグマの痕跡だ。やつはこの谷を縦横無尽に闊歩しているにちがいない。 頭からウエーダーの中の足先まで大汗をかいて、林道ゲートに戻った。車の存在がなんとも頼もしかった。 結局、源流行では生きたイトウは1匹も目撃できなかった。それでも非常な充実感があるのは、長年恐れていた1本の川にわずかな足跡を残せたからだろう。くせになりそうだなと、下山してから思った。 |