259話  死体イトウがヒット


 27年間もイトウ釣りをしてきたが、驚くべき未体験の出来事が起きた。それは201511月の午後のことであった。

 ずっと寒波の来襲と発達低気圧の通過で釣りにならなかったのだが、最後の日曜日は待ちに待った快晴、無風の釣り日和となった。私はまず中河川の釣りに出かけたが、氷点下3℃の気温のもとで、川は全面凍結していたので、そこを断念した。

たどりついた下流部では、珍しくイトウ釣り師たちが集結していた。気温0℃、水温1.5℃ではなかなか厳しい釣りが予想されたが、この時期にそんな気象条件にぜいたくは言えない。私は9時に釣り座に立ち、延々とキャストを続けた。その日は釣れるまでこの川から動かないことに決めていた。

昼前になって対岸に並んで竿をふっていた数人の釣り人が一塊になった。だれかが良型のイトウを釣ったらしい。しかし私にはいいことがなかった。使い古したリールのベールが折れた。車に戻って別の竿とリールに取り換えたところ、遠投したルアーが根がかりしたと思ったらラインが切れていた。もしかしたらヒットしていたのかもしれない。

14時、川のど真ん中で大きなライズができたので、そこへバイブレーションルアーを放り込んだところ、魚がヒットした。手ごたえはいまいちであったが、寄せてくるとイトウだった。45センチのくせに肥満体で1.8kgもあった。これが今季99匹目の個体だったので、あと1匹で百匹とおもえば、元気も湧いてきた。その直後のことである。

私の釣り座から上流方向のササ藪のわきにストンとルアーを落とし、川床を意識しながらゆっくり引いた。すると10mほど離れた水面下でなにか柔らかいが重い物体に引っかかった。水底のヨシの葉の塊かと思ったが、リールを巻くと少しずつ動いた。ヒット直後動きを停めて逃げる機会を待つイトウもいるから、油断はしなかったが、一向に暴れる気配がない。じわりじわりと寄せてくると、魚の尾びれが見えたので、にわかに緊張したが、ファイトするわけではない。その魚は死んで水底に沈んでいたのだ。サケのホッチャレを掛けたことはあるが、明らかにサケよりでかい。ついに釣り座の直下に来たのは、立派なイトウだった。

バイブのフックは、尾びれの付根の皮膚に刺さっていたが、あらためてそこをつかんで陸上に引き上げた。体長95センチの大物である。魚体は弓なりに反っていたが腐敗はしていない。死んでまだあまり時間は経っていないとみた。鰓ぶたが開いて、白っぽいピンクの鰓が露出していた。ルアーやフライをくわえてはいない。自然死なのか、釣りが原因で死んだのかは分からないが、残念な死体だった。できれば生きて私のルアーにヒットしてほしかった。

このイトウは今季百匹目であるが、もちろん死んだイトウはカウントできない。ゆっくりと深みに戻してやったが、腹を上にしてなかなか流れては行かなかった。この川で生まれ育ったイトウだろうが、なにか恨みか未練があったのだろうか。

釣りによるイトウのダメージは、経験を積まないとなかなか解らない。初めて釣った大物を手早くリリースするマナーを初心者はもちあわせてはいないだろう。

写真撮影や計測で長い時間水上に上げているともちろんダメージは大きい。ルアーが鰓を傷つけて出血させたらイトウは死ぬ。20℃以上など水温の高いとき、激しいファイトをすると、イトウは酸欠で急速に弱る。そういうことを考慮に入れて釣りをしなければいけない。「キャッチ&リリース」は釣り人に都合のよい言葉だが、リリースされた魚がどうなるかは分からない。弱り切って水中に沈んでそのまま死亡するイトウもいるだろう。死体イトウをサルベージしてあらためてイトウ釣りの意味を考えさせられた。