258話  朝霧の大魚


 10月中旬はイトウ釣り秋の陣と呼ぶピークシーズンだ。春とちがって秋は天気が安定しない。秋雨と秋晴れが交互にやってくる。天気が穏やかで、風がなく、水面がドローンとぬめるような釣り日和はめったにない。

 10月中旬の土曜日の朝は、晴れの放射冷却で気温がさがった。「絶対に釣れる」と入れ込んだ私は4時半には釣り場近くの駐車場に着いた。まだ漆黒の暗闇で、星がまたたく。ようやく東空がしらんできた515分に準備を整えて、川に向かった。通い詰めた小道と自分が整備した釣り座が心強い。川は静寂に包まれ、くろぐろと流れる。水温は9.7℃。こんな日を待っていた。

 ほんのわずかずつ景色が色づきはじめたが、にわかに霧が湧いて、まもなく濃霧と化した。すると川面がにぎやかになった。対岸近くでイトウのボイルがはじまり、川の中央ではサケが水面を割った。5時半になってキャストを開始した。川と並行に上流と下流へ交互に投げた。

 私の釣り座は、ゆるやかなV字の底の位置にある。川の流れはそこで変わる。不思議な反転流も生じる。それが魚を呼ぶのだろう。キャストしてすぐヒットすることはめったになく、ヒットはルアーのピックアップの直前とだいたい決まっている。それだからこそルアーが近づいてくると、緊張する。ルアーを追って巨大魚がすぐそこに来ているかもしれないからだ。

 その日もそうだった。上流に向かってキャストしたMM13が近づいてきて、5メートル圏まできた瞬間に、ズズズとブレーキがかかり、川底へ引っ張られた。ガツンと合わせた。水面にただならぬ乱流が生じ、いきなり沖へ走った。私はドラグをきつく締めているので、そう簡単にラインが出ることはない。11ftのロッドが激しく半月にしなり、大きく揺れ動いたが、ドラグが鳴ることはなかった。

かかった大魚は、ゴンゴンと首をふってから、水面を割り、テールをさらして再び沈んだ。しばし川床にへばりついて、動かなくなったが、竿をあおるとまた動いた。激しいダッシュはないから、ルアーはちゃんと口に掛かっているのだろう。私は竿を本流竿の細山長司流にかつぐように構えて、竿の剛性で魚のパワーを殺しにかかった。

いつもは大きなイトウがかかるとカメラを持ち出し、ファイトシーンを撮影するが、この日は止めた。霧で光量が足りなくてぶれるからだ。その代り、肉眼でしっかりと魚の闘いを観察した。ルアーの腹フックがしっかりと顎に掛かっているので、いわゆるハーモニカ状態だ。こういうときは、ほとんどバレることがない。もうすこし魚のパワーが衰えるのを待って、タモ入れしよう。

イトウがもう潜る力をなくしたとき、やおら長尺タモを左手につかんだ。釣り座は水面とひたひたの状態なので、ズリあげることも可能だが、ヨシが生えているので、そこでひっかかってトラブルが起きる心配をした。タモ入れのほうを選択したのだ。イトウを上流から寄せてきて、下流側ですくう魂胆であるが、大魚はまだ余力を残しているのか、タモを見ると、沖合へ向かった。一度二度と不成功だ。そこで、三度目にタモを深く沈めて、同じ取り込みを試み、イトウがタモ枠の直上に来たとき、ガバッとすくいあげると、「入った」。

 タモの中で大暴れしたイトウが鎮まると、計測した。体長98㎝、体重8.9kgで今年一番の大物だった。

 この日は下流で大村がやっていたので、リリース後に彼のところへ行った。私が「報告」する前に、「いやあ、いまバラシました。デカかった」と叫んだので、私の釣果を言い出しづらかった。この日はどこもかしこもイトウの活性が高かったのだ。