257話  中流の王者


 ことしの89月は河川渇水のためイトウ釣りは大不振に終わり、尾を引いて10月に突入した。渇水のため中小河川の立ちこみは容易であるが、肝心の魚はもぬけの殻であった。

 さすがに秋の陣10月になると、気温とともに水温も下がり、秋雨も静かに降って、河川状況は徐々に改善傾向にあった。10月最初の週末に中流のポイントに足を運ぶと、日曜日なのに珍しく先客の車がなかった。喜んで河畔に立った。

 常用する大中小の竿のうち、中竿を使うが、タモは大物用のデカタモである。水路と釣り座に距離があっても、柄をのばせば余裕ですくえるからだ。ルアーは陸から投げる場合は、ほとんどがバイブレーションと決めている。バイブを遠投して、順引きでは速めに、逆引きでは遅めに巻いて、川底を泳がせる。

 この日は、なかなか魚が出なかった。水位、水温、流れの速さなど上々なので、そのうちに食いつくだろうと、扇形にキャストしてはリトリーブをつづけていた。すると射程距離の対岸近くから、手前に引いてきたルアーが急にずっしりと重くなり、深く沈んだ。障害物か魚のどちらかに掛ったのだが、思案する暇もなく、魚だと分かった。勝手に下流へとルアーが走り始めたからだ。

 魚は手元の岸下を深く潜ったまま下流へ走った。私は取り込み場を見極めてから、タモを左手にもって、陸から魚を追いかけた。えぐれの下の障害物に突っ込まれないように、竿の操作でできるだけ岸から離れた水中を泳がし、小さな岬をかわして下流部に開けた水域にうまく移動させた。あとは持久戦である。全然浮いてこない魚が水中で頭を振っているのがグルングルンという振動でわかる。すこしずつ魚を水面に近づけてついに浮上させたとき、意外な大きさに驚いた。90は確実に超えている頭の大きなイトウだ。

私はドラグシステムがあまり好きではないので、いつもきつく締めている。そのため不意のダッシュに備えて、竿の弾力を蓄え、ライン切れを予防する。細山長司さんが本流竿で見せるあのスタイルだ。イトウが潜るパワーを失ったところで、タモを左手に構えて用意をした。竿を立ててイトウを近づけ、タモを水中に入れると、イトウは本能的に遠ざかろうとする。まだ諦めてはいないのだ。もういちど同じ動作を繰り返すと、こんどは水面を流れるように滑ってきたので、水中のタモの真上に引いて、一瞬でネットインした。「やった!」。

 イトウは骨格がしっかりとした体形の92㎝、7.1kgの良型であった。中流特有のやや茶褐色の体色をしていた。まるまると肥っているわけではないが、餌不足のやせ形ではなかった。おそらく下流から増水に乗って遡上してきたのだろう。

 中流ではふつう90㎝級はほとんどいない。そのため私はタックルなどは下流の装備とくらべて軽めの道具を使用している。たとえばタモなどもスライド式のニュージーランド製を使っている。しかし増水後の時期では念入りの大物仕様にしている。この日はそれが奏効した。

 中流の王者ともいえるこのイトウを、しばらく水際ひたひたの水草の上に寝かしておいた。王者はゆっくりと呼吸をし体力を取り戻すと、やがて尾びれを大きく振って、水中の深みに消えた。