252話  至福の98cm


 毎年のことだが、イトウ釣りシーズンの当初は、まださほど釣果があがらない。気温は全道でも宗谷だけが低く、海を渡る風も強い。それでもイトウの会はみなわくわくしながら、イトウ談義にふけり、平日の朝や週末の釣りに突入する。長い冬のうっ憤を晴らすかのように、竿をふりまくる。

 地元の釣り人のありがたいところは、短い期間ではあるが、毎日イトウ釣りができることだ。私はきまって4時には岸辺に立っている。5月下旬なら釣り場で朝日を拝むことができる。オレンジ色の光がモノクロの景色をすこしづつ色彩に染めあげていく。カワウの群れが飛んできてザザーッと川に降り立つ。水面に大小のライズがポワリポワリと広がる。なぜか川の流速が急に速まったり、また止まったりする。そういった風景を眺めながら、手は自然に動いて、ルアーをキャストし、リールをゆっくりと巻く。至福のひとときである。

 ことしはふくらはぎの肉離れの受傷後なので、どちらかというと動かない定点釣りを主にやっている。釣り師がじっとしていても、イトウはかならず一度や二度は射程距離内を通る。遭遇のチャンスは向こうからやってくる。

 5時をすぎるともうすっかり明るい。南西から吹く風は背に受けるので気にならない。20メートルほど岸辺沿いにルアーを投げては、竿をあげさげしながら、深度を調整して曳いてくる。なぜかイトウがドスンと食いつくのがピックアップ寸前なのだ。

土曜日の朝それは唐突にやってきた。1時間半以上にわたってまったく魚信がなく、集中力も散漫になってきたが、機械的に手は動いていた。ルアーをピックアップして回収しようとした瞬間、グシャッと水面がさく裂したのと、竿にゴンと衝撃を感じたのが同時だった。「あ、来た」と間抜けな声を発したが、しっかり腕時計のタイムを確認していた。

魚の爆発的な瞬発力はないが、5メートル圏で水面がうねり、水柱が立ち、ラインが刺さりこんだ。MM13のフックは頑丈で、20ポンドのナイロンラインは新しく、ロッドは11フィートの剛竿である。「大丈夫バレないな」と感じて、すぐカメラを防水袋から取り出し、左手にロッド、右手にカメラで得意の撮影をはじめた。魚が浮いてくるまで10ショットほど撮り、取り込み態勢に入る。直径80㎝の大タモを左手に構え、右手で魚を上流方向から操って引き寄せ、余裕をもってタモ入れした。あまり強いファイトではなかったが、無抵抗になるまで5分かかった。

まずメジャーで体長を測り、ばね計りでタモごとの重量をみた。体長98㎝、体重8.4kgであった。ことし最大のややスリムなイトウだ。優しい顔つきからメスだろうとおもった。  

カメラで魚体をさまざまに撮る。立派な大魚だから抱っこ写真も撮る。カメラに三脚をセットし、脚を岸辺にしっかり埋め込み、「自分撮り」機能を使う。つまり、液晶を反転させて、交換レンズ方向に向けると、自動的に動画が動く。被写体の自分を見ながら抱っこ写真の構図を決める。そこでセルフタイマーを作動させると3回シャッターが切れる仕掛けだ。タモからイトウを持ち上げると、当然暴れるが、3回のシャッターチャンスで、1回はきちんと写る。それを複数回やれば、なかには完璧なショットが写る。必要ならフラッシュもたく。まったくイトウ釣り師ご用達の便利なカメラができたものだ。防滴、防塵、しかも小型軽量だ。オリンパスOM-D EM-5 Mark Ⅱという。いままで多くのカメラを使ったが、釣用カメラはこれに尽きる。

イトウに「ごくろうさん」と言って、リリースしたあと、余韻に浸っていると、下流から大村がやってきた。「岸辺にしゃがみこんでいたから、釣ったなと思った」という。大村相手にひとしきり先ほどの釣りの講釈を垂れ、つかの間の優越感を味わった。