250話  イトウ釣り開始


 2015年の私のイトウ釣りは肉離れというアクシデントで始まった。429日に産卵観察のため山に入って、急な崖を登ろうとして受傷したのだ。左ふくらはぎの筋肉がブチンと音をたてて部分断裂したのだから、痛くて歩くのもやっとという情けない状態に陥った。

楽しみにしていた黄金週間は、静養とリハビリの日々となり、なんとかイトウ釣り開始に間に合わせたいとひたすら願った。幸い車の運転はできたので、毎日豊富温泉に通って、あまり好きではない温泉に浸かり、温熱療法に務めた。血の巡りをよくして、断裂部の修復を促進させたいという思いだった。いっぽうで、痛みを圧して歩行訓練をはじめた。それはちょうど土手に繁茂しつつあるギョウジャニンニクの採取という一石二鳥を狙った。再断裂したら元も子もないから、慎重に歩いたが、歩行練習という意識ではなく、獲物を探すという本能に訴えたのだ。徐々にだが、着実に炎症は鎮静し、痛みと腫れは引き、歩行が円滑になった。1週間目には川沿いを歩くまでになり、アップダウンもなんとかこなせるようになった。

そして59日にはイトウ釣りを開始するという暴挙にでた。受傷10日目であった。私の釣りは、定点釣りではなく、移動釣りである。しかも川中を遡行する「水中歩き」である。もちろん病み上がりで心配はあったが、決行した。もはやリハビリではなく、獲物を探す本能の出番だった。イトウを釣ろうとする釣り師の執念が、不安を打ち消した。

川中に立ってみて、水中歩きが、陸上歩きよりラクなことに気が付いた。浮力のせいで、患部への加重が少ないからだ。しめたと思った。急いで歩くわけではないので、ゆっくり竿をふりながら、時には胸まで浸りながら、遡行した。その日、4つのルートをいつもの1倍半の時間をかけて実行した。さいごは、まだ水量が多すぎて高巻きが3度も必要な川に挑戦した。夢中になるとふくらはぎのことはすっかり忘れていた。ウエーダーの靴が泥にとられて、身動きできなくなる破目にもあったが、必死になっていると痛みは感じなくなった。こうして、川歩きの自信が甦ったが、イトウの魚信は一度もなかった。

10日、峠を越えて遠征した。前日の湿原河川とは性格がちがう渓流河川である。水位は減水し、ジンクリアの透明度だ。陸から川底が丸見えで、魚の姿はない。それでもアプローチを歩き、いつもの入川ポイントから立ちこんだ。みずみずしい河畔の柳葉が萌木色で、快晴の空の色を映す川面が青い。わくわくしながら、瀬尻に一投して曳くと、なんと一発で魚が食いつき、それがイトウだと分かった時点で、私は有頂天になった。「ワーッ」と叫んでタモ入れしたのは56㎝・2.1kgの肥満ぎみのイトウで、ひどく元気がよかった。今季第1号のイトウの姿をみて、なんだか泣きそうになった。

その日は日曜日だったので、ことし初めてイトウ釣りに繰り出した人びとの車が、あちこちに停まっていた。私は農道のどんづまりから歩きだして、川に立った。ちょっと深いけれど、意気軒昂だった。青緑の深い淵には、途方もない魚が居そうな予感がしたが、そう簡単にはヒットしなかった。深場の沈木にプラグを取られたので、本波幸一さんからもらった新発売のスプーン・マレク18gを結んだ。そのまま遡行し、退渓ポイントに近い淵でコンと軽い衝撃があった。巻いてくるとこれがイトウで、シングルフックが上顎にきれいに刺さっていた。40㎝の中学生だ。「マレクで釣った第一号のイトウ」のはずと気づいて、きちんとアップ写真を撮った。これを後ほどメールに添付して本波さんに届けると、たいそう喜んでくれた。

受傷から11日目に今季初のイトウ2匹を得て、非常にうれしかった。それはことしのイトウ釣り開始であり、またふくらはぎ肉離れの経過良好でもあったからだ。