244話  釣り師のイトウ研究


 天塩町に住む菅原英人さんから、天塩町でイトウに関するシンポジウムをやるので、協力してほしいと頼まれた。二つ返事で引き受けた。

その理由は、いままでのイトウシンポジウムは、研究者の発表がほとんどで、大多数の聴衆である釣り人が、まとまった報告をすることがなかったからだ。イトウについて、釣り人が黙っていたらまずい。生息調査する研究者や、法律・条令を作る役人だけに任せていたら、真実からほど遠い扱いになるかもしれないと危惧するからだ。

イトウは絶滅危惧種である。しかし、本当に絶滅に近いほど減っているのか。そもそも以前はどれほど生息していたのか確たる根拠もない。探検家・松浦武四郎が天塩川を遡っていた19世紀にイトウがどれほどいたのか。たくさんいたかもしれないが、それは伝説であり、ほら話であり、うわさに過ぎない。現代の科学的調査と比較するほうがおかしい。増えるとか減るとかいうには、基本的に数字のデータがなければならない。

1994年から毎年きっちり釣魚を記録しつづけている。すでに20年間のデータが蓄積されている。宗谷の河川には、「かなりいるぞ」、「幻ではないぞ」、「最近は若魚がむしろ増えているぞ」と地元の釣り師である私は知っている。もちろんイトウはあふれるほどいるわけではないし、釣り人が釣果を全部キープすれば、簡単に絶滅するほどのはかない状況ではあるのだが。

私は以前からイトウの増減を指摘できるのは釣り師以外にいないと考えている。その理由は、ずっとイトウとかかわりつづけるモチベーションをもつのは、釣り師だからである。イトウの数に限ったことではないが、科学的に議論するには、ある程度の数をまとめる必要がある。私の属する外科医師の医学報告では、その数は1000である。「胃がん10例の検討」では話にならない。「100例」でもそれがどうしたといわれる。しかし「1000例」なら検討の価値がある。千という数はそういう数だ。私は自分の釣果が千匹になったら、イトウについてものを言おうと考えていた。2005102日、12年かけてその千匹に到達した。2013年末には、20年間で1718匹となった。

 私の釣り場は、河川の中流域である。そこでイトウが一番釣れるからだ。釣れるイトウの平均体長は50pである。大物はいないから、大物狙いの釣り人は、下流域に陣取るべきである。ただ雨後の増水期には下流からびっくりするような大物が遡上してくる。その証拠に私も幅10mもない川でメーター魚を釣ったことがある。いっぽう上流からイトウの稚魚も下ってくる。10p級や20p級も釣れることがある。それらすべてのイトウの動向を中流域では捉えることができる。したがってイトウの生息状況をモニターするには、中流域が最適なのである。

中流域は水位が低い季節は川中を歩ける。しかし秋以降は秋雨増水のため川には入れなくなる。そういった季節ごとの対応もおもしろい。大雨による大増水が収束したころ流域に信じられないほどのイトウが集まることがある。私は偶然ではなく自分のデータから、場所と水位と水温でそのパラダイスを予測する。ことしはイトウの集合の理由も突き止めた。それはおびただしいウグイの稚魚の発生だ。大雨とウグイ稚魚の大発生とイトウの集結といった自然のダイナミズムを体感すると、興味が尽きなくなる。

イトウ釣りは私の趣味ではあるが、長年かけて深く没入すると、研究者に負けないほどのデータを得て、それで議論ができるようになる。いまではイトウ研究が釣りにひとつの目的となった。