243話  痛いバラシ


 イトウ釣りをやっていると、せっかく掛けた良型をよくバラス。つぎつぎにイトウが釣れるシーズンであれば、心痛もすぐ忘れるが、釣れない時期のバラシはたいそう痛い。

 2014年シーズンは、7月にはいって晴天がつづき、川は渇水し、水温が上がり、イトウがパタッと釣れなくなった。こうなると釣魚イトウの11匹が貴重で、バラスことができない。

 7月後半の3連休も連日の晴れで、気温が上昇し、川のコンディションはよくなかった。私は1日1匹釣れればよいと考えて、あっちこっちと川を渡り歩いた。

土曜日はアサイチで大河のポイントに立ち、2時間びっしりキャストをつづけたが、まるでなにも起きなかった。80pはあろうかという巨鯉が群れで通過した。気を取り直して、つぎの川に移動した。渓流型河川で、湿原型河川より水温が2℃ほど低い。

この川も減水しているが、下流に行くにしたがって深い渕が連続し、そこにイトウが溜まることがある。まずそこへ向かった。陽光降り注ぐ瀬を流れた水は、右岸ぞいに青黒い小渕を成し、いかにも大物が潜んで眼を光らせていそうな雰囲気である。私は川を下りながら、一投また一投と投げ、ゆっくりと魚を誘った。その数投目、投げたプラグをピックアップしようとした寸前、ガクンと穂先がおじぎして、水面に突き刺さらんばかりにしなった。根がかりではなく、生命感がある。思わず「来たっ」と叫んだ。あわせを3回入れ、しっかりと掛けたつもりだった。水は透明だ。魚の正体はすぐに見てとれた。まず80は超えるイトウだ。重々しく走るが、十分にランドできると、まわりを見回して、ずりあげる場所を探した。そのときだ。イトウは急に下流にパワフルに走り、持ちこたえようと腰をすえた瞬間、フッと竿が軽くなって、イトウは消えた。あえなくもフックアウトだ。ルアーを点検すると、尾のフックが伸びていた。

月曜日は海の日で、休みだった。稚内に近い2河川を試したが、まったく魚の気配はなかった。そこでまた遠路はるばる渓流型河川に向かった。天気は快晴で、水温はすでに20℃を超えていた。この時期、イトウは瀬に付くことが多いが、そういったポイントはあまりないので、川中を歩く時間が長い。カンカン照りの太陽にあぶられて、ひたすら汗を流した。胸深まで立ちこんで遠投をかけたが、ルアーはむなしく帰ってくるばかりだ。瀬をくだり、魅力のない平瀬を抜け、最後に渕頭に到達した。「ここで引き返そう」と決めた。下流の深渕に向かってプラグを投じたが、あまり沈まない。手ごたえがない。そこで、バイブレーションに交換した。フルキャストして、ドンと沈め、巻きはじめた。そのときだ。ジュジュジューと妙な音がしたとおもったらドラグが鳴っている。さらにジャーとラインが吐き出され、踏ん張る暇もなく、フックアウトした。その日、大汗をかいて川を歩いてきたそれまでの労力をおもうと、神を呪いたくなった。

「なんでバラシつづけるのか」

ルアー釣りにバラシはつき物で、大物ほどよくバレル。半分はバラシている。フックアウト、ラインブレーク、なかにはルアーとフックをつなぐスプリットリングが伸びるなんてこともあった。大物のパワーとスピードに道具が負けてしまうことだが、もちろん釣り師の技術の下手くそもある。危うい道具ならば、のらりくらりと長期戦に持ち込むという手もある。しかし、駄目なときは駄目なのだ。ツキがなかったのだ。

バラシの当日はとても悔しいが、日が経つと冷静になりもっと客観的に事態を把握できる。バラシの理由もきちんと理解できる。そこから対策が生まれる。さらにバラシということは、魚との接点が間違いなくあったわけで、そこから知識が蓄積される。「ああいう日は、あそこに大魚がいる」ということが分かれば、半分釣ったようなものだ。そういうバラシをいくつも経験すると、つぎはどこかで必ずゲットできる。

むかし釣友のチライさんが、大物を掛けてはよくバラスというので、「バラシ将軍」と呼んでいたが、バラシが少なくなったチライさんは、釣行ごとにメーターイトウを釣る畏敬すべき釣り師になった。バラスということは、一度は掛けているわけで、その能力を忘れるわけにはいかない。

バラシを重ねるうちに、バラサない技術が身につくものなのだろう。私はまだ修行が足りない。